いかに他者への「期待」をなくせるか

スピ系でも宗教などでも「期待をするな」的な教えはよく見かけることと思います。私も内面の世界を学び始めてから割とすぐに、この教えに出会いました。「期待をしない」というのは、「言うは易し、行うは難し」の典型例で、頭でわかってはいても、なかなかそううまくはいかないものだなぁということを日々の生活の中で実感しています。世の中や社会、政治などに対してもそうですが、やはりこと身近な人間関係において、知らず知らず他者に期待をしてしまっているんだなぁと感じることが多いです。

たとえば、私は今、食べ物に気を遣っていて、あまり砂糖や小麦系のおやつなどを食べないようにしているんですが、家族が旅行に行くと必ずと言っていいほど何か甘いおやつを買ってくるんですね。おそらく家族が喜ぶと思って買うのでしょうが、私も父も甘いものを食べないし(それも知ってるはず)、買ってくる人も買ってくるだけで全然食べないんです。このまま誰も手を付けずに賞味期限がやってくるのではないかと思ってしまうくらいです。おそらく買ってくる人は家族が喜んで食べることを期待しているのですが、私が「甘いものいいや」と言った場合に不機嫌になられたら困るなぁと思っています。実際にそういった事例が過去にあった気がするので、喜ぶ反応を期待して買って来ないでほしいよ、というのが本音です(今回は不機嫌ではないですが)。

あらゆる人間関係において、不満や愚痴が多い人というのはどこにでもいると思います。そういう方はおそらく他人への期待というか、求めるものが大きいんだろうなと感じていて、だからこそ他人に文句を言いたくなってしまうのでしょうね。おそらく親に厳しく育てられたり、あまりほめられてこなかったので、自己肯定感が低いのだと思います。親が子に期待をしたり、完璧を求めると、必ずその子は自己肯定感が低い子になり、大人になってからも内面の問題で苦しみ続けることと思います。期待というのは「条件付けの愛(=エゴ)」とも言え、無条件に相手を愛する、受け入れる態度とは相反する意識です。親子関係は特に顕著で、親は自分の思い通りに子どもを育てようとすることが多いです。「親の期待に応えられない自分はダメなんだ」という幼少期からの思い込みに、どれだけ多くの人が苦しめられていることでしょうか。

期待というのはごく親しい人間関係の中でこそ大きく、また苦しみも大きくなるものだと思います。恋愛関係というのもまさにその例に当てはまるもので、相手が自分の思い通りにならないと怒ったり、不機嫌になったりする人も多いです。そして、それがカップルの主な別れや不和の原因になっているように見えます。世の恋愛関係って結局のところ「期待」のかたまりで、本当の愛じゃないんだなぁということを思い知ります。相手のせいにする前に、相手に期待をしていなかったか、本当にありのままの相手を愛し受け入れられていたのか、自分の心を見つめ直してみることが大切だと思います。

私自身もまだまだ精神的に未熟なので、そこまで達観できないのですが、それでも深い愛の意識の領域で生きる人になりたいと思っていますし、何か心がザワついた時は自分の内面を見つめるようにしています。こういった内面の意識のことは本当に一朝一夕というわけにはいかず、日々の心がけ、積み重ねがすべてです。「相手が自分の思い通りにならないと怒る」というのは、本当に精神的に幼いし、子どもじみていますが、世の大人の大半がそういった意識で生きているように見えます。すぐに完璧にとはいかなくても、徐々に他者への期待をなくして、さらに生きやすくなると良いなと思っています。

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