我慢はするな、忍耐せよ!の真意

昨日は久しぶりに八ヶ岳のシェアファーム(畑を一区画借りている)へ足を運び、あいにくの曇り時々雨でしたが、土に触り、自然を満喫してリフレッシュできました。雨が木の葉に落ちる音や、雨に濡れて湿っぽくなった土の感触を感じ、仲間の方が作ってくださったおいしいランチをごちそうになって、まったりのんびりな休日。私は農業素人なのでどんな作物がどれくらいでできるとか全然詳しくないのですが、昨日来ていた詳しい方に色々話を聞いてみたところ、長いものだとたまねぎは1年、アスパラガスは2年はかかるのだとか。辛抱強くお世話をしてやっと収穫したお野菜はさぞおいしいことでしょうね。

そして、八ヶ岳の帰りに電車に乗りながらネットサーフィンしていたら、電通で新入社員の方が過労死してしまったニュースが話題になっていて、どれどれと思って読んでいました。残業月100時間(それ以上)、上司のパワハラ、モラハラなど、相当肉体的、精神的に傷ついてしまっていたことが伺え、将来ある若者がこんなことになってしまうなんて本当に残念でなりません。それと同時に精神力やメンタル、我慢と忍耐について、自分なりに考えを巡らせていました。「少しくらいのパワハラに耐えられない=メンタルが弱い」の詭弁に、いら立ちを隠せませんでしたね。

以前にもブラック新人研修を受けた方へのエール「我慢しない」をループするにも、無理すること、我慢することの危険性を書いてきましたが、自分を大切にせず身体を酷使し、本心を無視してやりたくないことを我慢してやったり、パワハラや暴言に耐えることが「メンタルの強さ」だと思ってしまったりするのは、本当に命の危険につながると思っています。実際にこうして自殺してしまうケースもありますし、自律神経症状や不安感、緊張感、不眠などの精神症状くらいなら誰にでもすぐに起こり得ることです。我慢することはなんの美徳でも褒められたことでもなく、自分を大切にしない=地球を大切にしないということでもありますから、回りまわっては他人や全体を傷つけることにもつながるでしょう。

先月、今の自分に必要なのは「忍耐力」の記事に、ある個人セッションで今の自分には「忍耐力」が必要だと感じたという話を書きました。そして先日、また別の来日セラピストの方の個人セッションを受けたのですが、その際にも今の私に必要なのは「忍耐」と出ました。我慢と忍耐の違いについて疑問に思うこともあるかもしれませんが、両者は根本的に異なると思っています。そして、その二つを取り違えるからこそ「パワハラに耐える=メンタルが強い」の嘘につながっていくということ。そこにははただ「我慢」してくれる組織の奴隷として優秀になれという思惑が隠れています。

野菜の収穫には年単位の時間がかかることがあります。種を蒔いてすぐに収穫できるわけではなく、時間をかけてじっくり丁寧にお世話をして、その結果、収穫を迎えることができるわけです。まだ芽が出ないかな、と掘り返してはいけないのです。それは「我慢」ではなく「忍耐」ですよね。そこにはある種の楽しみもあって、イヤイヤやるとか、パワハラに耐えるのとは全然違います。実は、先日のセッションで選ばれたエッセンスは「地、土、大地」のエレメントのエッセンスでした。それは「忍耐」「根気」を意味するのです。まさに野菜の収穫に時間がかかることとリンクしますよね。この時期に土いじりに行ったのも偶然ではなく、今の私に必要だったからこそ、この時期に八ヶ岳まで行ってきたのでしょう。

私は今、極力「我慢」することを減らしています。でも、この日々は「忍耐」の日々です。「忍耐」は「待つこと」とも言えると思います。現代人は待つことが苦手で、インスタントに何かを得たい、したいという欲求が非常に強いです。それが「メンタルの弱さ」の真意なのではないでしょうか。パワハラ、暴言になんて耐える必要はなく、それよりも自分の本心に嘘をつかないこと、これと決めたことに対して忍耐強く取り組むことの方がよほどメンタルが鍛えられると思います。そもそも、宇宙的視座で言うと、一瞬で何もかも叶ってしまう世界からあえて物質化に時間がかかるこの地球に生まれてきたとも言われているので、種を蒔いてすぐに収穫できない「忍耐」を味わいたくてこの世に生まれてきたとも言えるのです。大きな意味で言えば、「忍耐」は楽しみでもあるということ。「我慢」は一切無用と思いますが、「忍耐」は何事においても本当に必要です。私もこの今の「忍耐」の時期を、存分に味わいながら楽しんでいきたいなと思っています。

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