「不祥事で組織は変わるだろう」という幻想

政治、経済界、大学、芸能界、スポーツ界など、あらゆる業界の不正や不祥事の話題に事欠かない今日この頃。「どこもかしこも悪いことやってるじゃん」と、感覚が麻痺してもはや驚くこともなくなっているくらいです。と同時に、矢面に立つのはいつも権力の中枢を握っている中高年のオジサンたちで、偏見とか思いこみでなく世の中をありのままに見てこの世の癌になっているのはあの老害たちだという思いを一層強くしています。これは役所で働いていた時に肌で感じていたことと全く同じです。

昔から不正や不祥事というのはどの業界でもあったし、今に始まったことでは全然ありません。世に名の知れた会社が不祥事を起こすと、普通はその会社の信用は地に落ちるものですが、その後に「(不祥事の後で管理が厳しくなり)今の○○(不祥事を起こした会社)の商品が一番安全かも」という言説が必ず一部で起きます。しかし、私にはやはりそうとは思えません。不正や不祥事の温床となっているような会社であったり、事件後の会見や対応が不適切・不誠実である会社というのは、もう組織自体が根本から腐っていて、「この場をやり過ごせばいい」「どうせ大衆は忘れるだろう」「自分の報酬とポストだけは確保しよう」的なことしか考えていないトップがほとんどだと思います。そんな不誠実で悪魔的な人間がトップにいるからこそ、不正や不祥事が起きるわけですからね。その人たちが退陣したとしても、次にトップに選ばれる人も同じような性質の人であることが多いのではないかと思います。

私は案外(?)根に持つタイプで、一度不正や不祥事があった組織というのは基本的に信用していません。たとえば、従業員を過労死させるような企業や黒い噂が絶えない企業など、いわゆるブラックと呼ばれるような企業は、一回や二回の不祥事などで心を入れ替えるはずがありません。もともとちゃんとした誠実な企業であれば、不祥事などそもそも起きませんし、不慮の事故などがあった場合でも誠実な対応をするはずです。私が知らないだけかもしれないのですが、「不正や不祥事の温床だった組織が、ある事件を機に非常にクリーンになりました」的なストーリーって、現実にはほとんどないと思うんですよね。これはしもじもによるクーデターでも起きて、トップがよほど善良な人に変わらない限りありえないことです。悪魔的トップはお金の論理、資本主義の論理を第一に考えるので、人間的な良心というのが働いていません。このことは、悪事を握りつぶす資本主義の「正義」という記事にも似たような話を書いています。

世の中の組織というのはトップ(権力を握る人)がどんな人かということでほとんどすべてが決まると言っても良いと思います。トップが筋金入りの大嘘つきなら、その下で働く人も嘘を重ねざるをえなくなるし、トップが暴力でねじ伏せるタイプなら、その下で働く人も部下を暴力でねじ伏せることになるでしょう。昨今世間を騒がせている、不祥事が起きても嘘を重ねて忘れ去られるのを待つ愚か者、恐怖政治で不祥事は部下のせいにして責任を取らない愚か者…トップを入れ替えなければ何も変わりません。一部の善良な政治家も官僚も、闇大学の学生も、ブラック企業の労働者も、いや、すべての国民も、いい加減そんな支配にはうんざりだと、反旗を翻さなければならないタイミングなのかもしれません。善良な心を失った嘘つき、暴力、金の亡者に「NO!」。数は力になります。デモ、ボイコット、ストライキ、内部告発、不買運動などが盛んになる、市民革命の時代が刻一刻と近づいているのかもしれません。

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