休んでぼーっとする時間の大切さ

私が仕事を辞めたのは昨年の10月で、そろそろ10か月を過ぎたところ。類は友を呼ぶからなのか、私の周りには仕事を辞めてからすぐバリバリ働かずに、シフトダウンした働き方をしたり、勉強したり、ふらふらと何もしない期間を過ごしている、もしくは過ごしたという方がたくさんいらっしゃいます。私も今はまだそんな状態なのですが、皆口々に「ああいう時間は必要だ、大切だ」とおっしゃいます。今の私も本当にそうだなと感じる毎日です。

「無職期間」を認めない風潮の洗脳の記事にも書きましたが、今の日本は無職の人に対する風当たりが異常に厳しく、仕事を辞めて休む間もなく次の仕事に就かなければならない、何かをしなければならないといった強迫観念が強いと感じています。大学を卒業してどこかで勤めて、何事もなければ定年退職する60歳くらいまでまとまった休みを取ることもなく働き続けなければならない方が不自然でおかしいと思うのは私だけではないでしょう。社会人になってから新たに大学に入り直したり、専門分野を学んだり、別の人生を歩もうとすることがそもそも前提にない社会という気がします。だからこそ「新卒の切符」という言葉に象徴されるように、就活のプレッシャーが異常に大きく、そこでだめだったら人生終了なんじゃないかと錯覚してしまうほど追い込まれてしまうということがあるのだと思います。

以前に良く書いていた「感情の解放」の話を少し思い出しました。私にはまだ就活の時に感じていたプレッシャーや悔しさ、自己否定感が潜在意識レベルで解放されておらず、今も時折解放されたいとうずいているのだということに気づき、当時に感じきれなかった感情を思いっきり味わってみることにしたんですね。「就活自殺」という悲しい事件も報道されていたことがありますが、私も実際に自殺しようとは思わなかったものの、その人たちの気持ちはわかるなぁと当時は思っていたものでした。ここでうまくいかなかったら、やり直しはきかないのだと本気で思っていました。

今になって思えば、あの時そんなに気負う必要はなかったし、周りの内定取った取らないの話に惑わされず、我が道をゆけばよかったと思うのですが、大学生くらいの精神年齢ではそんなことは思えませんでした。働いてみてからわかることってものすごくあるし、思ってたのと違ったとか、やってみたら合わなかったとか、当然いろいろあります。また、時代の変化もあり、入った当初は良かったけれど、次第に時代遅れになってしまうとか、変化に適応できなくて衰退するとか、そういった状況も生じてくるでしょう。そんな時、今までの疲れや消耗を癒し、次への英気を養うとともに自分を見つめ直すためにも、休んで何もせずぼーっとする時間というのは非常に大切だなと痛感します。

私は約10か月休んでようやく、そろそろ働いても良いかも、という気になってきました。それくらい、今まで消耗して疲れ切っていたのかという気づきにもなりましたし、疲労や我慢が溜まれば溜まるほど、回復にも時間がかかるのだということを実感しています。日本人は特に勤勉で真面目な国民性と言われるように、休むことに罪悪感を感じがちで、何かを常にしていないとだめだという意識が強いと感じますが、昨今の精神疾患の方の多さを見ると、その価値観こそが人々を疲弊させ、社会全体の閉塞感につながっているのは明らかです。勇気をもって休み、ひたすらぼーっとして体力気力を養い、自分と向き合うことに、何一つ罪悪感を感じるポイントはないし、むしろやりたくもないことを我慢してやるとか、無理に無理を重ねて自分を大切にしない生き方こそ、宇宙レベルでもったいないことだと感じます。

無職期間があると転職の時に困る…と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、その間にきちんと自分を大切にして、自分と向き合って有意義な時間を過ごすことができれば、その方が何倍も次のステップへ進みやすくなるのではないでしょうか。無職期間を恐れて付け焼刃的に転職先を見つけても、また同じことの繰り返しになるでしょう。私自身も以前は罪悪感を感じていましたが、そこを吹っ切ったらすごく生きやすくなりました。休んでぼーっとする時間は無駄な時間ではなく、自分自身が変容するために必要な過程であるということ。10か月休んで元気になったからこそ次のステージへ進む準備ができたことを心から実感する毎日を過ごしています。

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