「悔しさ」「報われなさ」の正体

昨日は2回目のnoteオフ会でした。前回から引き続きご参加の方と、noteにもたびたび登場していていつも読んでくれているリアル友達の方お二人ということで、二人とも知り合いなのでオフ会というより普通のおしゃべり会に。今までnoteに出てきた話題などについて雑談する感じでした。面白かった記事やどんなところを気に入って読んでくださっているのかを改めて伺うことができ、今後自分の書いていく方向性について考える上でもとても参考になる意見を頂くことができました。

最近の面白かった記事として、「やらされ感」とES(従業員満足度)を挙げてくださった方がいて、「ES上げるプロジェクトの人のESが下がっちゃうなんて本末転倒だ」といった話が少し出ました(笑)。こういうリアルな体験談、経験談というのはなかなか聞くことができない情報だと思うので、面白いのかな、価値のある情報なのかな、と思いますね。公務員時代のエピソードはここには書けないようなこともあるので、そういう話が気になる方こそオフ会に来てくださると良いなと思ったりもしますがね(笑)。むしろ次は「公務員の仕事について語るオフ会です!」みたいにテーマ絞った方が集まりやすいでしょうか?うーん(悩)。

ここ数日の「因果応報」の話と関連していますが、私の中には昔から「真面目に正直に生きている人は報われるべき」とか「コツコツ努力した人は報われるべき」といった固定概念が強くあり、そのパターンをずっと今まで持ち続けているように思います。だからこそ、今まで散々「報われない。悔しい。」という思いをずっとずっと抱き続けてきたわけですし、今までの報われなさの仕返しかのように年度途中で突然退職するという一見非常識ともとれる行動を取ったのかもしれません。もちろん潜在意識レベルでです。その「報われない。悔しい。」という気持ちは何事にも真面目に一生懸命取り組んできたからこそ感じられるもので、手抜きで適当にやったことに関して報われなくても悔しさは湧いてこないものなのだと気づきました。

ここのところ、ボードゲームにハマってみたり、某将棋漫画のアニメを観てみたりと、「勝負」とか「負けず嫌い」といったテーマも自分の中で浮上してきています。今までの人生を振り返ってみても、「悔しさ」を原動力に何かに取り組んできた経験は結構あるし、普段は温厚な性格だけれども、持って生まれた負けず嫌い精神と積み上げてきた「こんちくしょー!感」というのは常に内に秘めているものです。以前から意識しないとファッションも性格も言うことも男に寄ってきてしまうという自覚があり、「ふざけんなコノヤロー!」という内なる男性性が大暴れしそうになるのを、これも持って生まれた八方美人的な性質により抑えていた部分もあります。

今まで抱えてきた「悔しさ」や「報われなさ」というのは、私が本来の場所にいなかったことや、「あなたの本気出すのはそこじゃないですよ」ということを教えてくれたありがたいサインだったのだと思っています。いつまでもあの組織にいても、真面目さや一生懸命さが報われることはなかったでしょう。以前に「貢献」という話についても書きました(自分自身に貢献しているか?の記事参照)。私が得たい「報われた感」というのは、自分がこうあってほしいという状況に対して自分が貢献できたと感じられることです。今は自分が今までの人生で経験したこと、見聞きしたこと、自分自身のベストな資質を、いかにして世の中に貢献するために活かすかということを見つめ直しています。今まで感じた「悔しさ」「報われなさ」の正体は何か、過去のパターンを手放し、好循環のサイクルに入るためにできることをしばらく内観し続けようと思います。

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