せっかくの能力・才能が不正に使われる社会

最近、世の中の動きが激しいようで、政治への批判的な報道や国会議事堂前での人々のデモなど、大きな変化が起こりそうな兆しを感じています。国(政治家・官僚)の不祥事も後を絶たず、「どこまで腐敗しきった世の中なのだ」と末端の人々までもが呆れかえっている、そんな雰囲気すらあります。どいつもこいつも嘘つき、不正…まともな人はいないのか(いたら潰されるのだけど)とため息が出ます。

官僚の不祥事、これはいつの世もあることですが、せっかくの優秀な頭脳が悪事や不正に加担するために使われていると思うと、本当に残念に思います。私の同級生にも優秀な人がたくさんいましたが、せっかく東大を出て官僚になっても、悪魔のような政治家の下で、手となり足となり馬車馬のように働かされるわけで、なんだかもったいない…せっかくの頭脳をもっと世の中を良くするために使ってもらえたらどれほど良いだろうかと思ってしまいます。善良な人であっても、上が悪事を働いていたら通常はそれに従わざるを得ません。官僚に限らずどんな会社であっても「本当はこんなことしたくない…」と思いながら、悪事や不正を知りつつ何も言えずに働いている方が大勢いらっしゃるのではないかと想像します。

とはいえ、本当に絶対に悪事や不正には加担しないという鉄の意思があれば、そんな仕事は辞めることができるはずなので、結局は自分の心よりもお金や地位を優先した生き方をしているのだろうと思います。この社会で働くにあたっての苦しみはその辺りにあるのかなと思っていて、うつ病や心を病む人が絶えないのは、資本主義自体が悪事や不正と切っても切れない仕組みだからだという気がしています。自己中心的で悪をなせる人が上にあがり、大金を得る社会、人間に備わった良心と逆を行くことがよしとされる(一見豊かになるように見える)社会ですからね。必然的に心に葛藤を抱えながら働くことが多くなるでしょうね。

誰しも最初は善良な青い心を持っていたはずですが、ずっといい人のままでは上に上がれないし、同期やライバル社との競争に負けてしまいます。朱に交われば赤くなる。売上のためとか上司が言ったからとかそうしないわけにはいけないとか、適当に理由をつけて悪事や不正を正当化し、もともとあった良心がどんどん黒くなっていきます。不正をしてしまった官僚(社員)も、最初から悪人だったわけではなく、徐々にそういった世界観に染まってしまったのかもしれません。「それが社会のルールだ、組織のルールだ」と言われるなら、私は喜んで離脱しますし、それが今の社会不適合者的な自分の立ち位置だと思っています。

前回の職業・学歴より大事な生き方・働き方という記事にも関連しますが、結局のところ、生きる上で重要なことって何なのでしょうね。親が子に「勉強しなさい、東大行きなさい」と言い、子が見事東大に入ったとします。そして、エリート官僚になってたくさんお金も稼げるようになったとします。しかし、最終的に国家的不正をするような人になってしまったらどうでしょうか。やはり大事なのは人間性なのではないでしょうか。既存の社会でお金持ちやエリートと言われる職に就くよりも大事なことがあるのではないかと思います。資本主義社会のルールにとらわれてしまうと、せっかくの才能や能力が悪に使われてしまうことが多々あります。世の人々のあらゆる才能、能力を、平和、平等、分かち合いの社会に向けて使うことができれば、世の中はすぐにでも変わると思います。今は世の中の人々一人一人の良心が問われる時だと感じています。

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