「お金持ちとの結婚=幸せ」の影にあるもの

先日仲の良い友人と会ったときに話題になった話を書いてみようと思います。その友人は何度もnoteに登場している心の友で、私の思想や世界観を非常によく理解してくれており、お互いにいろんな話を共有する中で自身の価値観が変わり、とらわれがはずれて非常に生きやすくなった、自分に自信が持てるようになった、と言ってくれている人です。同い年の29歳アラサー同士、共通の知り合いも多く、周囲の結婚や恋愛観について話すこともよくあります。その日に出たのが「お金さえあれば(お金持ちとさえ結婚すれば)幸せ」と言っている人は本当にそうなのか?本当にそう思っているのだろうか?という話題でした。

私はそこまで露骨なことを言っている人に出会ったことはないけれど、おそらくそういった打算で結婚相手を選ぼうとする人はとても多いのではないかと思います。「お金!お金!」とまでは言っていなくても、例えば相手が一流企業の会社員だから結婚する(フリーター・ニートならしない)、という人はかなりの割合に上るのではないでしょうか。ある意味それは当たり前で、この資本主義社会で一般的に一番重要なのは「お金・経済力」であり、「働かなければ生きていけない」おかしな社会です。お金を得るために働くのと同様に、お金を得るために結婚する(結婚相手を選ぶ)という状況になっているというのは、当たり前のようで実は不自然で、結局のところ二人を繋ぐものは「お金・経済力」ということなのだろうか?と疑問に思ったりもします。

世の中の夫婦が「お金・経済力」をベースに繋がっていて、「金の切れ目が縁の切れ目」がリアルに起きているとすると、この社会が病み社会になっているのも頷けます。この世の中が狂っているのは、支配層による「家庭の破壊」「パートナーシップの破壊」工作が見事に成功し、お金のためにと人々が仕事に忙殺されることで、家庭がめちゃくちゃになり、傷ついた子どもが大人になり、そんな病んだ大人が社会の中心となっているからだというようなことをこれまでにも書いてきました。結局のところ、「お金・経済力」でつながった夫婦やパートナーシップの愛や絆みたいなものが脆弱なのだと思います。結婚してからも、二人の時間、家族の時間よりも仕事を優先にするような生活をしていては、すれ違いや関係の不和につながっていくのは目に見えています。

心の友と話していた時に、「でもさ、本当にお金さえあれば幸せって人もいるんじゃないの?」と言われたのですが、すかさず私は「それは結局愛の不足感の裏返しだと思う」と言ってみました。仮に豪邸に住んで、どんなにたくさんの高級品やブランド物に囲まれて暮らしていても、それで心が満たされることはないのではないかなと思っています。「とにかくお金!お金!」と言ってお金持ちと付き合ったり、結婚したりしている人に、本当に幸せそうな人はいないように見えます。そういう方に幼少期の親子関係について話を聞いてみたいものです。おそらく、母親からの愛情不足を感じるような生活だったのではないかと思います。それを聞いた友人も「それはそうかもね」と納得していたようでした。

マスコミやネットなどのメディアも、「結婚する時に相手に求める年収は?」などといったくだらないアンケート結果などを吹聴したりして、おかしな思想を広めようとしています。これもやはり価値観・思想が支配されていることによる問題だと思っていて、多くの人が内面を重視せずに、外面の条件付けによって相手を選んで結婚して家庭を築くからこそ、その後の結婚生活が不満だらけ、うまくいかないといった事態になるのではないかと思います。この世が平和で愛に満ちた社会になるためにも、まずは結婚相手選びの基準から見直すことが必要なのではないでしょうか。

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