「シェア・分かち合い」こそがこれからの時代の共通言語

ここ10年くらいで、「シェア・分かち合い」の価値観が急速に広まってきていると感じます。主にFBやツイッターなどのネット上で使われ始めてからの流れのような気がしますが、ルームシェアやカーシェアリングなど、日常生活でも市民権を得るようになってきましたよね。この「シェア・分かち合い」の考え方は、これからの時代において、非常に大きな意味を持つものだと思います。

すべての楽しさ、心の豊かさは、実は「シェア・分かち合い」なのではないか、と思っています。

食欲、性欲、睡眠欲と「しゃべりまくりたい欲」を制御するの記事にも書いたとおり、人は「しゃべりまくりたい欲」というのを必ず持っていて、自分のことを話したい、知ってもらいたくて仕方ないわけです。それってつまり、「自分のことをシェアしたい欲」とも言えると思います。

でも実際にそれを満たす場というのはあまりなく、気心の知れた友達や家族とおしゃべりしたり、こうしてネット上で思いを書いたりするくらいなのかなと思います。だからこそいろんな思いを溜めこんで、うつになったり、体調不良になったりする、ということも絶対にあると思います。カウンセリングの需要があるのもこのためでしょうね。「シェア不足」が病気の原因の一つとも言えるわけです。

私は自然療法の勉強のために、ありとあらゆる講座やワークショップに参加してきました。その時に思うことは、やはり受講生の方とシェアする時間はとても重要であり、楽しいということです。おしゃべりしすぎて脱線して、延長してしまうのもしょうがないな、と思うくらい、みんな思ったこと、感じたことなどを話したくて仕方ないわけです。みんながたくさん話せて、共感できた時の方が、満足度は高いし結束も高まるしその後のつながりもできるし、いいことづくめなんですよね。ですから、私が何か講座やワークショップをやるとしたら、説明はそこそこにして、ほとんどをシェアの時間に当てると思います。その方が主催者は楽ですしね(笑)。

同じ苦しみを経験した人同士は結束が深まる、とかってよく言いますけど、それも「シェア・分かち合い」の楽しみ、充実感と同じことでしょうね。同じ時間を「共有」するということ。そのとき感じたことを「共有」するということ。それはきっと、想像以上に人々をつなぐ最強のツールだと思うんですね。よく「すれ違い離婚」とかもありますけど、同じ時間や感覚を共有することが減っていけば、当然心の距離も離れてしまうと思うんですよ。それくらい重要なんですよね。おいしいものを一人で食べるより、みんなで食べた方がおいしい。一人旅も楽しかったけど写真はみんなにシェアしたい。何でもそう、他人とシェアし、分かち合う喜びは誰でも常に求めているものなんです。

目に見えない時空間や感覚の話だけではなく、物理的な「モノ」についても「シェア・分かち合い」の輪は広がっていますよね。前述の家や車、自転車などもそうですし、貸し農園やコワーキングスペースなども増えてきました。貧困貧困、と言われる時代において、他人と「共有」することで浮くコストは結構あると思うんですよね。「所有」はリスクだなと感じる場面も多々あるので、モノの「シェア・分かち合い」もどんどん広まるといいなと感じます。「所有」は「執着」という心の苦しみも生むし、共有できるものは共有して、身軽にしていった方が、精神的にも楽になる気がします。

「シェア・分かち合い」は「独占」「所有」とは相反する価値観であり、自分だけが良ければいいということではなく、ともに楽しくなろう、ともに豊かになろう、ともに助け合おう、という気持ちが根底にあると思うんです。あれ、それってなんか聞いたことのあるフレーズ。そうです、「共同創造」。人々がともにつながり、ともに楽しく豊かになる。それがこれからの「共同創造」の時代の価値観です。ですからネット上で「気に入ったらシェア!」が増えてきたことも、ルームシェアが当たり前にある世の中になってきたことも、偶然ではなく必然の流れなんですね。「独占」「所有」こそが目指すべきもの、豊かさである、と「思わされていた」時代はもう終わり、物理的にも精神的にも「共有」「共同創造」することが楽しさ、豊かさの源であると目覚める時が来たと感じています。それは頭の損得勘定を脱した、心・ハートからの真の楽しさ、豊かさなんですよね。「独占」「所有」の洗脳を解き、人々とのつながりをもってともに豊かになる社会に向かって歩き始める人が、確実に増え始めているのを感じています。

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