日々の気づき=「抽象化」の過程

ありがたいことに、私のnoteを愛読くださっている方にお褒めの言葉を頂くことがあり、「わかりやすい」とか「読みやすい」、「日々の具体的な話から入るのが良い」と言っていただくことが多いです。このnoteにかかる時間はだいたい40~50分程度、プロットも何もなく突然パソコンに向かい、落としどころも何もなく流れるままに書いている感じで、メソッドやテクニックなどは全く無視して書いてます(笑)。書く上で習慣となっているのは、日々身近で巻き起こるあれこれ、見聞きした情報から何か気づきを得て、抽象化していくというそれだけです。次の日に書く時間がない時に前日に書くことはあれど、基本は書きためることなく、リアルタイムの気づきを書いています。

1年もこうして書いていると、自然と身の回りの出来事からnoteネタを探すようになっており(笑)、些細なことでも気づきを得ることができるようになりました。この「気づき」というものは何かというと、つまるところは「抽象化」なのだと思います。身近な出来事から、過去にあんなこともあった、誰かもこんなことを言っていた…という情報や記憶をひっぱり出してきて、一つの抽象的な「気づき」に昇華するということ。私が無意識のうちにnoteを書く中でしていたことを言語化すると、そういうことかなと思います。「抽象化」をもっと掘り下げると、「宇宙の法則」とも言え、身近な出来事から「宇宙の法則」を見出そうとしているとも言えますね。

以前に、「価値」という言葉の中身を掘り下げるという記事を書きました。この記事の中で、AIと人間を比較した上で人間にしかできない価値の創造は何かを考えた時に、「創造性・独創性」、「研究・実験」、「統合・発見」は価値になるだろうということを書きました。「知識」を「知恵」に変えてゆくの記事にも関係しますが、研究や実験をした結果、「知識」が「知恵」に抽象化されたり、異分野を「統合」することで、さらなる抽象的な気づきを得られるということが「価値」になるということです。バラバラの個別具体のピースを統合し、抽象化するというのは人間にしかできないことです。研究や実験と言っても研究所で行うような大それたことではなくても、個人の旅行記や体験記、感想やレビューなども同じように価値があると思っています。よく2ちゃんまとめサイトなどで見かける「○○に△△をしてみた結果www」といった記事も、「研究・実験」の部類に入るでしょう。だから面白いんだと思います。

エゴの意識が強いと、あらゆるものを統合できず、すべてが分離した世界であるかのように見えてしまいます。短絡的、近視眼的、部分的、個別的、有限性…といった視点でしかものを見ることができず、自分さえよければいい、相手が悪いと言った意識になります。抽象化して物事をとらえられることと、(エゴではなく)愛の意識が深まることは同時進行であり、エゴの意識が強いながらも抽象化して物事を見る、ということはありえません。愛の意識が深まるほど、物事を俯瞰して、統合的、抽象的、長期的、全体的、無限性…といった視点で物事をとらえられるようになるということです。自分自身をあらゆるものから分離された存在ではなく、一元性の原理の中でとらえることができるようになりますからね。

他の方はどうかはわかりませんが、私自身は本質的なものの見方を身につけて、この激動の時代を生き抜きたいと思っています。本質的なものの見方を身につけるというのは、「抽象度を上げる」ということです。そしてそれは、エゴの意識から全体性、一元性の愛の意識に変容していく過程でもあります。抽象的な宇宙に遍く普遍の法則に気づいたら、そこで得た気づきを日々の生活の中で実践することが重要なのだと思います。例えば、「原因と結果の法則」に気づいていながら、人を欺いたり、嘘をついたりしていては元も子もありませんからね。ただただ本に書いてある法則を書き写すのではなく、身の周りの出来事から「やっぱりそうだった」と気づいて書いていく。日々の経験を抽象化して価値にする、そんな毎日をこれからも積み重ねていこうと思いました。

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