「悩み」を「強み」に方向転換

体調不良~夏至以降、本当に自分の中での意識の変化が大きくて、気づいては解放し変容し、ということの繰り返しの日々でした。今もまだその流れはあって、毎日自分を苦しめる隠れた思い込みやその原因を内観しています。そこで気づいたことは、私の「悩み」、そのものが天からの「ギフト」であり、「強み」であるということでした。

私はあまり身体が丈夫ではなく、割とすぐに不調をきたす方だと思います。いろんなことに敏感すぎるのです。スマホやタッチパネルの電磁波に触ると指が痛くなるし、ケータイを耳に当てると耳がぼわーっとするし、果物やトマトを食べるとものによっては農薬で舌が痛くなるし、薬や添加物などの化学物質をとるとお腹が不調になったりにきびが出たりするし、乳製品をとるとすぐに胃もたれするし、辛いもので下痢するし、柔軟剤の香りで気持ち悪くなるし、人ごみに行くとそれだけでふらふらしちゃうし、夏フェスに行くと熱中症気味で楽しめないし…とにかくちょっとした刺激に弱くて、タフさがありません。お腹もしょっちゅう壊すし、辛い思いをたくさんしてきました。それでも、入院とか一週間発熱とか、ひどい不調にはなかなかならず、そういう意味では健康そのものです。

もっと身体が丈夫だったらどんなに良いか、みんなと夏フェスに行けたら楽しそうだな、農薬づけの果物もおいしく食べられたらな、いろいろ思うことはあります。この敏感さと繊細さは、私を苦しめる「悩み」でもあったのですが、ある意味では危機回避能力が高いとも言え、自分にとって合わないものや有害なものを敏感に察知する、高性能すぎる身体のセンサーを持っていたということでもあります。反応が出ないと知らず知らず蓄積していて、あとで重病になったりするものです。自分の健康を過信することにもなります。

反応が出なければなかなかそれが有害であることには気づけませんよね。私も以前は携帯で電話していても耳がおかしいと気づくことはありませんでしたが、今は明らかに耳がおかしくなるので、数分でもなるべくイヤホンマイクを使うようにしています。スマホもなるべくタッチペンを使って、触らないように気をつけています。反応がない=無害なのではなく、有害なものを察知するセンサーが鈍っているということです。多くの人はそういう状態なのだと思います。

「話を聞く方が好き」という人はいないの記事にも書きましたが、誰しもが自分の話をする方が好きなのですが、私は人の話を聞くことも苦ではないというか、何も意識しなければ聞くばかりでむしろ自己主張が苦手というタイプなので、話は聞くものだというのがデフォルト。人に気を遣いすぎて自己主張ができないというのは「悩み」でもありましたが、人の話を聞くことが難なくできるという意味では「強み」になるだろうし、人の話を聞く仕事なんかはすごく向いているのかもしれません。粗削りな人より繊細な人の方が合う仕事でしょうしね。

昨日はさらに掘り下げて、なぜ自己主張がうまくできなかったり、ある集団で自分が話すとか、注目されるというシチュエーションが苦手なのだろうかということを考えていました。注目されるのが本当に苦手で、遠慮してしまう癖があります。自分の結婚式とか勘弁して、という感じ。これも、よくよく考えると幼少期の母との関わり方に原因があるようです。気づいただけでもかなり解決されるもので、注目されることへの抵抗が少し減りました。幼少期の親子関係はあまりにも大切にも書きましたが、本当に本当に小さい頃の親との関係で今の悩み(特に人間関係について)は作られています。幼少期の傷の癒しは一生かけて取り組むテーマです。

この敏感で繊細すぎる身体も、自己主張できない性質も、注目されるのが苦手という価値観も、すべてを受け容れて、それを「強み」ととらえる。「悩み」は「強み」であるということ。人間関係の基本は、自分と自分との人間関係。私が私のすべてを受け容れられれば、人間関係のあらゆる悩みも解決していくはず。「悩み」は「悩み」と思うから「悩み」になるという、すべては私の創った思い込みの世界の出来事だということ。自己認識を転換し、私のベストな資質をこの世に発揮できるようにするため、内観と手放しの日々はこれからも続くのです。

note過去記事一覧はこちら

ホリスティックな健康をサポートするGreen Cosmoのページはこちら

「note見た」で友達申請→村上遥のFacebook

Twitter再開しました!→Twitter

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?