「悩まずやっていること」の持つ意味

昨日までの怒りや闇の感情はひと段落して落ち着いてきております。私は自然療法が好きで、中でも特にハーブについて深く学んできました。メディカルハーブ協会のハーバルセラピストの資格も取りましたし、ハーブの勉強は全く苦にはならない感じです。ふと、「いつハーブに興味持ったんだっけ。何がきっかけだったんだっけ」「なんでハーブの資格取ろうと思ったんだっけ」と思い返すことがあるのですが、はっきりしたことは思い出せません。また、ハーブのスクールに通うことにも迷いがなかったように思います。よくわからないけど気づいたら申し込んでた、みたいな感じです。

そういえば、4月から八ヶ岳で農園を借りているのですが、それもいつ借りると決めたか定かではなく、なんとなく借りることに決めてて、気づいたら区画決めて申し込んでた…みたいな感じなんです。交通費とか月に何回通えるかとか、深く考えずにただやりたいな~と思ってその気持ち一本で後先考えずに借りてしまいました。なんか人生においてそういう決断が増えてきている気がします。0か100か、じゃないけど、迷うということが減ったと思います。お金が…とか時間が…とかあんまり考えずにやりたいと思ったからやるし、欲しいと思ったから買う、みたいな生き方になってきています。

それでもまだ、お金や時間のブレーキがかかることがあって、そうやって言い訳するものは「今」じゃないんだな、と思うようにしています。いつか、本当に必要でやりたくなったら、お金や時間を言い訳にせずにやると思います。結局気持ちさえかたく決まっていれば、お金とか時間とか関係ないんですね。それはすべて「意識」の問題だから。そして、なんでか知らないけどやっている、とか、意識せずにしている行動って、すごく重要な意味を持っていると思っています。

たとえば私だったら、「自然療法のワークショップ、セッション、カウンセリングをやる!」とずっと思っているし言っているのに、今やっていることと言えば、農地借りて土いじりするとか、アルバイト先で麹作るとか、noteとブログ書くとか、そんなようなことです。それらもこれからやりたいことへの準備ではあるかもしれませんが、「今」やっているのはそういうことであり、そのための準備が整い、やりたいからやっていることに間違いはありません。

私の知り合いにもこんな人がいました。本人はデザインの勉強、仕事がしたいらしいのですが、実際日々の暮らしでの趣味は写真や映像を撮ること、映画を観ることだそうで、デザインの練習などはしていないとのこと。それって映画とか映像とか写真の方が本当に好きでやりたいことなんじゃないの?と思って話を聞いていました。

私の場合も同じかはわかりませんが、やりたいと思っていることはあるとしても、「今」やろうと決めずにやっている、やろうかどうしようか悩むことすらなくやっていることというのは、今の自分が本当にやりたいことだったりするのかもしれない、と思うわけです。私も「いずれ」は自然療法の仕事をもっともっとやっていきたいと思っているし、その気持ちに嘘はないけれど、たぶんまだどこかで準備ができていない部分があるから本格的にはしていないのでしょうね。あまり自覚はしていませんでしたが、本当に好きで土いじりをしているのだろうし(虫嫌いだけど)、頭ではない部分でやりたがっているのだろうなと感じています。

「やりたいことが見つからない」「好きなことがわからない」という方もいらっしゃると思いますが、「悩まず決めて(なんでだかしらないけど)よくやっていること」ということは何かしらあると思います。もしかしたらその中に、本当にやりたいことや人生の使命、目的などのヒントが隠されているかもしれません。ご自身の空いた時間の過ごし方、休みがあったら何をしているか、振り返ってみると何か新たな発見があるかもしれませんね。

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