必要性と利益主義の歪みがもたらしたもの

以前から様々なテーマを取り上げてきましたが、やはり私が一番興味があることはこの世のしくみ・構造とじゃあどうすれば良いかという解決策を考えることなんですよね。そのためにためになりそうな思想や哲学に触れたり、宗教について調べたりということを日々やっています。今私が勉強しようと思って読んでいるのが、以下の2冊です。サーカーの思想〈1〉進歩的活用理論(プラウト)―資本主義とナショナリズムを超えて(松岡光喜著)とポスト大企業の世界―貨幣中心の市場経済から人間中心の社会へ(デビット・コーテン著)(リンク先はアマゾン)。私も読み途中なのですが、同じようなことに関心のある方には是非手に取ってもらいたいと思いご紹介しました。

まだ全然読めていないので詳しくは語れないものの、かなり現実的にこれからどのような社会にすれば良いかということが書かれていて、大いに参考になると思いました。スピリチュアル系のサイトだと、「地球の波動が上がって平和が訪れます…」的なことを書いていたりもするのですが、今の私はそういうのをあてにも信用もしていないので、現実的にどんな社会であればいいかということを思案しています。資本主義は終わる終わるといつも言っていますが、貨幣経済がいきなりなくなるとも思えないしそれが良いとも限らないので、貨幣経済を残したまま人々が平和に豊かに暮らす方法があればそれがベストだろうと思うんですよね。

本の中に「消費と利益」の話があって、今の社会では消費ではなく利益に重点をおいて生産しているということが指摘されています。利益主義に走るあまり、消費する必要量以上に生産してロス、廃棄を出しているということ。いつも言っている「もったいない」精神にもつながりますが、とにかく生産・供給過剰なんですよね。大量生産によりコストを下げるのはわかるのですが、あまりにも無駄が多いです。資源にしても人件費にしても、エネルギーの無駄遣いにも程があると思います。利益を出したいがために特に必要のないモノを生産し、宣伝をし(洗脳し)、買わせることで成り立っているのが今の世の中ということです。

ちょっと話はそれますが、本や書籍の類も最近は出版への敷居が下がっていると言いますか、(失礼ながら)中身が薄そうな本も多数出版されているように思います。出版社不況と言われて久しいですが、中身のある本を出そうというよりも、人気のあるブロガーのブログ書籍化だったり、「願いがかなう」「儲かる」的な本を量産したりと「利益主義に走りすぎて質が低下してない?」と感じる場面も多々あります。モノが売れないから無理にモノを量産し、それによって質が担保できなくなっている状況は、あらゆる業界、産業において近頃よりいっそう顕著になっているように感じます。

なんとしても利益を出さねばらない…と躍起になるあまり、中身の薄いモノや価値の低いモノを量産し、結果流通するモノの質の低下や生産の負担が減らないという悪循環に陥っているように思いますし、このままだと冗談抜きで企業の倒産の多発、経済破たんもありうると思います。本当に必要な分(消費量)だけ生産すればそれで十分なのではないでしょうか。ただ、さらに悪いことに日本は食料や資源を輸入に頼っているという現実があり、自国だけで生き延びるのが難しくなってしまっています。モノがあふれ、モノが売れない時代において、「成功」なんて夢物語ですし、何千万何億円と投資(借金)しても回収できる確率なんてごくわずかです。いまやもう「成功」を目指す時代ではなく、現行の資本主義制度を見直し、いかに大多数の庶民が豊かに平和に暮らせるかということに本気で意識を向けなければならない時に来ていると思います。

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