自発的に学ぶからこそ知恵がつく

ここ2回に渡る記事で、学歴や会社がステイタスとなっている社会だからこそ「それが当たり前だから」と漠然と大学に進学してしまった自分を振り返っていました(漠然と流されて生きる人生の無意味さ学歴・会社がステイタス=人を見る目がない社会の記事参照)。大学受験から12年、大学卒業から8年ほど経って、当時勉強していたことがどれだけ今も身についているか考えてみると、ほとんど忘れてしまっていて役に立たないものになっているなぁと感じます。学力の基礎体力みたいなものはありますが、細かい知識や単語などは全く覚えていません。かといって使う機会もないのですがね。

私は今も昔も勉強好きを公言するほど学ぶことが大好きで、知識欲旺盛だという自覚はあります。ただ、それは自分が自発的・能動的に興味を持ったことに関することでしか発揮されないもので、興味のないことについて勉強したり覚えたりするのは苦痛以外のなにものでもありません。それはどなたにとっても同様に当てはまることだと思います。大学受験のための勉強、資格試験のための勉強、語学試験のための勉強…私はそういったものをまるっきり否定はしませんが、やはりどうしても「やらされ感」や「必要があるから仕方なし感」が出てしまい、モチベーションの維持に苦労したり、勉強自体が苦痛だったりします。そうして短期間で集中して勉強して、試験を受けたらすぐに忘れる…これは本当に身にならない勉強法ですし、本質的に意味がないことだなとつくづく思います。それを日常的にやらされているのが現在の学校教育であり、各種資格試験であり、というところです。

大学での勉強についても、特に文系の方については、大学で学んだことが現在に生きているという方はどのくらいいらっしゃるのか聞いてみたいところです。私は大学で学んだことはほぼ何も生きていないと言っていいと思います。気づいていない部分で何かあるのかもしれませんが、やはりどうしても大学生活は「大学卒業」の肩書を得るためだけに存在するような感覚があります。であれば本当に「早稲田の入学試験にパスできるほど受験勉強に取り組みました」という証明を18歳でもらい、そのまま就職でもいいんじゃないかと思うくらいです。このご時世で自発的に目的意識を持って大学で学んでいたと胸を張って言える方がいたら、その方は本当に若いうちに自分の専門を見極められた方なんだなと感じます。ここ数日の記事を書いていて、「大学の存在価値って何?」とすごく思ってしまいました。

日本がここまで腐っているのは教育のあり方が根本的に狂っているのも一因だと思っているので、世の中のあり方を考えるのと同様に、教育のあり方について考えることもとても好きです。本来、「学ぶこと」というのは、誰にとってもとても楽しい人間の根源的欲求だと思っています。学ぶことがつまらなくなるのは、点数で序列をつけられたり、試験のための勉強をさせられたり、興味のないことを強制的に勉強させられたりするからですよね。興味のあることを点数や試験に関係なく自発的に学ぶのであれば、苦痛は一切ありませんし、楽しく知恵が身につくことと思います。私は学生時代、理数系科目が苦手でしたが、自分が体調不良になり、ハーブやアロマ、食べ物の勉強をした際には、自発的に興味を持って解剖生理学や化学、栄養学などの理数系分野を楽しく学ぶことができました。本当に興味のあることに関しては吸収力も違うし、実生活においても非常に役に立つものです。本当に身になる知恵というのは「やらされ感」からは生まれず、自発的な楽しい学びの中から生まれるものだなと改めて感じました。

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