必要なときに必要なものを必要な分だけ

拙noteにたびたび登場する心の友とやりとりをしていて、最近出た話題が親孝行に関することでした。一般的には旅行や高級な食事などをプレゼントするのが親孝行、のように言われているけれど、実際はそういったわかりやすいものよりも、一緒にいて話を聴くとか、同居するということも実は親孝行なのかもしれないね、といった話をしていました。親から援助・親と同居は恥ずかしい?という記事もちょうど書いていたので、タイムリーな話題でしたね。心の友は、実家に帰り親御さんの話をよく聴いてあげているそうで、そのことで親御さんが楽になれば良いなと本気で思っているのが伝わってきました。

こちらがよかれと思ってプレゼントするものよりも、一緒に過ごす時間(心の充実感)が大事なのかもしれないということ、そして、あげるものが本当に喜ばれるかは別だよね、という話になりました。いかに他者への「期待」をなくせるかという記事にも似たようなことを書いており、相手の喜ぶ反応を期待してその通りにならないと不機嫌になるくらいなら何もしない方が良い、と思っていたところでした。贈り物の類は本当に難しく、要らないモノをもらって困惑してしまうことは世の中的には多々ありますよね。私たちはどうしてもわかりやすい物理的なモノを真っ先に考えてしまうものですが、それよりもっと幸福感や充実感を得られるのは、やはり人と人との心の交流のなかにあるものだと思います。

最近ある方と話していて言われたことを思い出しました。「食べ放題などに行くと金額以上に元を取ろうと頑張って食べようとしてしまうことも多いけれど、それって本当に得なのか?賢い振る舞いなのか?」といった内容でした。私自身は食べ放題には久しく行っていませんし、そこまで魅力を感じません。食べ過ぎるより少食の方が身体に良いとわかっているので、あんまり食べ物にガツガツしていないということもあります。元を取ろうとして食べすぎてお腹を壊したり、苦しい思いをするのは本末転倒で、おいしく食べられる分で止めておくのが一番賢い楽しみ方だろうなと思います。

世の中的に「損得勘定」の意識がものすごく強いので、いかに得をするか、少ない金額でたくさんのモノを得るか、といったことに意識が向いているように見えます。私自身は最近ミニマリスト志向に拍車がかかっていて(笑)、余計なモノは本当に要らない、モノ増やしたくない…と常々思っているので、本当に必要なモノだけあればいいや、と思っています。それよりも、知識・経験を積むことや、内面の浄化、人格を磨くことなど、目に見えない数値化できないものに人生の重きを置いて生きるようになりました。

恵方巻きの時期に食品ロスと「必要な分だけ」意識という記事を書いたこともあります。この世の中、ありとあらゆるものが過剰で、それゆえに環境を破壊したり、食べ物や資源を捨てたり、人々が働きすぎて病気になったりしているという現状があります。結局のところ、私たちが一番幸せな状態というのは、モノがとにかくたくさんあること、ぜいたく品・高級品に囲まれることではなく、「必要なときに必要なものを必要な分だけ」持っている(使える・食べられる)という状態なのだと思います。スピ系の教えでよく見られるように、「必要なときに必要なものを必要な分だけ」というのは必ず与えられるようになっているそうです。この点については私もそうだろうと思っています。「必要なときに必要なものを必要な分だけ」を信頼し、必要以上のモノを過度に追い求めることなく、その分に充てるエネルギーを内面の世界の幸福感・充実感に意識を向けるようになると、人生の見え方が変わっていくのではないかと思います。

7月8日(土)オフ会やります~→オフ会・イベント情報

note過去記事一覧はこちら

ホリスティックな健康をサポートするGreen Cosmoのページはこちら

「note見た」で友達申請→村上遥のFacebook

Twitter再開しました!→Twitter

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?