「やりたいこと」と「しなければならないこと」

私は書くことがしたいんだ!と気づいてから、ありとあらゆることに対して「それは本当にしたいのか?ホントにホントにしたいのか?」と自問自答する日々が続いています。というのも、私は「これがやりたい!行きたい!習いたい!」と思うと、後先考えずにやったり行ったり申し込んだりすることが多く、「これだ!」と思うと瞬時に身体が動いて行動してしまうタイプだということがはっきりわかってきて、なかなかやろうとしない=別にやりたくないことなのかもしれないと思い始めてきたからです。

心の底から、魂レベルでやりたいとは思えないことに対しては、頭ではどんなに理由をつけてやろうとしても、やっぱり身体が動かないんですよね。悪く言えば贅沢、わがままなのですが、よく言えば自分の直感にめちゃくちゃ正直とも言えます。頭で理由をつけて何かをするっていうのが、年々難しくなってしまっています。本当に、身体は嘘つけないなぁと感じますね。だから、動きたくない、始めたくないということは、別に今やりたいと思ってないってことだから、それを良いとか悪いとかジャッジせず、流れのままに生きるのが一番だということも腑に落ちてきました。タイミングじゃないのか、本当はやりたくないのか、その辺りははっきりとはわかりませんが、「今はしたくない」ということは確実のようです。

今でこそそんな感じで生きていますが、働いていた頃なんて「やりたいとかやりたくないとか、仕事ってそういうことじゃないよね」と思っていた節もあったし、「割り切って」働くのが当たり前だったと思います。そうすると、日常は「(ホントはやりたくないけど)しなければならないこと」であふれてしまい、しかもそれが当たり前だと思っているので疑問に思うことすらないのです。それでも健康でいられたら働き続けられましたが、心身ともに限界を感じてしまいました。今はなんとか働き続けられている人も、明日は我が身の話です。

本当にやりたいことというのは、意識せずとも自然にやっていることや、続けることが苦ではないことの中にあると思っています。続けようと思わなくても身体が勝手に動くようなことが何かあれば、それは本当に好きでやりたいことなのだと思います。私の場合、このnoteを書くことは続いていますし、時にネタに苦しむ日もあれど、基本的には坦々とパソコンに向かって書くことが習慣化しており、全く苦ではありません。ただ、同じブログと言っても、アフィリエイト目的でブロガーになる方も多いと思うのですが、アフィリエイトのサイトを見てもそういうことがやりたいとは思えなくて、私のやる気の原動力となるのはそこじゃないんだろうな、と感じています。

書くことは好きで全く苦ではないけれど、書く内容にかなり左右されるということです。どうしても書きたくないことは書けないんです。その代わり、書きたいことへの情熱はハンパないということ。誰に言われなくても毎日書いてしまうということ。いくら頭で「こういう記事を書いたらPVが上がって成約件数が上がる」みたいなことを聞いて、仮にそれで稼げそうだとしても、その作業が好きでなければできないんです。私の直感では、無理して頭で理由をつけてやろうとする=いつの間にか「しなければならないこと」になってしまっていることは、私の本来の生きる道とはちょっとずれてしまっていることなのではないかと感じています。

私は、日常を「誰に言われなくても自然とやっている好きなこと」で満たせれば最高だなと思っています。できるだけ「(やりたくないけれど)しなければならないこと」を減らしたいのです。頭の声と、魂から湧き上がるハートの声、両方聞こえるけれど、ちょっとずつちょっとずつでも、ハートの声の割合を増やしていきたいと感じています。頭の声ばかりを聞いていると、だんだんハートの声を聞きとる感覚が鈍ってしまい、気づいたら「しなければならないこと」ばかりをしていて、病気になっていた、ということになりかねません。「それってホントにホント~~にやりたいこと??」自分に問いかける日々はまだまだ続くのです。

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