「魔が差す」瞬間がある弱さを認める

好きなこと、やりたいことをやる人生を生きるためにと、昨年の10月に突然仕事を辞め早8か月余りが経過しましたが、私はまだその「好きなこと、やりたいこと」が100%確信を持ってわかった感覚はなくて、まだまだ手探り状態です。あれもこれもやりたいしやってるけど、結局どうしたいんだろう?という具体的なところがはっきりと見えていない感じなんですね。こればっかりは時間が解決してくれるかなと思うところです。

昨日の日々「自分で良かったと叫びたい瞬間」に近づいてゆくの記事を見てもわかるように、正直夏至以降は心が折れそうになる瞬間もあったし、いっそまた組織労働でOLみたいな仕事をした方がいいかもしれない、という気持ちが何度か頭をよぎりました。昔から私のnoteをお読みくださってる方はご存知かと思いますが、いままで散々公務員や大企業などの組織で働くことは奴隷労働だとか自分らしく生きられないとか書いておいて、また組織に戻るんかい!と自分でツッコミを入れ、自分には何もできないと弱音を吐きそうになる自分を奮い立たせていたのです。犯罪を犯した人がよく言う「魔が差した」的なことが自分にも起きていて、「お前にはできない、所詮雇われ労働者だろ」という悪魔のささやきが襲ってくる瞬間が何度かありましたね。

今売れている方のブログなどを読んでも、売れる前はどうだったとか、どんな気持ちで過ごしていたかというのはあんまり書いてなくて、「そこに至る過程が気になるんだけど!」と思いながら読むこともあります(笑)。たぶん、何かを始める前っていうのが一番苦しいのではないかと。さなぎから蝶になる苦しみ。脱皮して次のステージへと向かう。日々の正直な思いや気づきを毎日綴ったこのnoteは本当に私にとって貴重な記録になると思うし、仕事を辞めて好きなことを始めようとする人のリアルな軌跡です。自分の思いや気持ちというのは常に刹那的で、私が去年何を考えていたかというのも、今思い出すことはできても、リアルにその思いを感じることはできません。常に感じているのは「今」、リアルタイムな生の声。日々少しずつ移り変わる感情の機微と向き合って記録する毎日です。

昨日の記事で、燃え盛る炎から「情熱を燃やせ」というメッセージを受け取ったことを書きました。漫然と過ごしていると、当初思い描いていたビジョンや思い、問題意識、情熱など、大切なことを忘れて日々の生活に追われてしまいがちになります。このことは初心に立ち返ることの重要性にも書いてあります。何をしていくかという具体的な目標も大切ですが、やはり根底にあるもっと大切な思いやビジョンというものをもっと固めたいし、そのビジョンに共感してくださる方とつながりたいという気持ちは強くなりました。その部分が確固たるものとしてきちんとあれば、悪魔のささやきが襲ってきたとしても、ぶれずに自分の信念を貫けると思うのです。

とはいえ、人間である以上弱音を吐きたいときもあるし、楽な道に逃げようとする弱さはあって、そんな自分も認めていこう、さらけ出していこうと思って今日の記事を書きました。弱さがないことが強さなのではなく、弱さを認められることが強さだということ。自分の弱さ、至らない点、みじめな自分をいかに受容し愛していくのか。自分を受け容れれば、相手も受け容れられるようになり、人間関係もスムーズになります。思いやビジョンを明確にし、自分の弱さを受け容れて、さらなる自信が輝く次のステージへ、一歩一歩確実に進んでいきたいと感じています。

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