もはや内面の目標しかなくなった

これまでにも何度か目標設定についての記事を書いてきていますが、私の中では「目標設定は不要」というのが今の結論で、頭で考えた目標が全くあてにならないことがわかっているので、特に何も目指していません。「成功を目指さない」という幸せという記事にも書きましたが、何も目指さなくなると人と比べたり自分はダメだと思うことが格段と減り、心が平安で穏やかである時間が増えたように思います。ただただ、今、目の前のやりたいと思うことをやり、会いたい人と会い…という日々を送っている感じです。

私は以前からこんなnoteを書いているくらいなので、精神世界や哲学・思想といったものに非常に関心が強く、世の人々の平均よりも内面の世界に重きを置いている比重が高いように感じています。薄っぺらい表面的な人間関係は要らないと思う派ですし、物欲も少なめ、成功やお金にも興味がなく、いつも内面の世界のことに思いを馳せている感じです。いかに心を清らかに美しく保って生きるか、悪魔に魂を売らず、欲望の奴隷にならずに生きるかといったことを常日頃念頭に置いて生活しています。それが、私の思想や死生観に基づいた生き方だと思っています。(「死生観」が生き方に与える影響の大きさの記事も参照)

今月頭に開催されたオフ会で、参加してくださった方に「これからの目標はありますか?」といったことを聞かれたのですが、その時も上記のようにしか答えられませんでした(オフ会の様子はオフ会開催&「つながり」の大切さの記事を)。大きなことを言えば、この世が平和で愛にあふれた社会になれば良い、「分かち合い」「助け合い」をベースにした世の中になれば良いというのが壮大な目標ではあるかもしれませんが、そのために自分ができることとして最大の目標は、自分の心を平安に清らかに美しく保つ…ということ以外にはないだろうと完全に腑に落としています。言葉にすると簡単そうですが、世俗的な欲望の誘惑が多いこの世の中においては、なかなか難しい目標のようにも思えます。難しいからこそ、自分自身がそういった生き方を体現することが、私ができる最大の社会貢献ではないかなと感じています。

世の中の多くの人はこの世で何かを成し遂げることや、実績を残すことを目標に掲げているように感じていて、「人生の目標は?」と聞かれた時に、内面の世界のことを挙げる人ってどれくらいいるんだろう?と思ったりもします。これはまた別の記事に詳しく書こうと思っていたことですが、何かを成し遂げるにしても実績を残すにしても創作するにしても、「どんな意識でやるか」というのが非常に大事で、何をやるよりまず先に内面の意識を整えた方が良いんじゃないの?と思うことも多々あります。そうでないと、よかれと思ってやっていることが、実は世の中にとってマイナス(愛ではなくエゴ・欲望を増大させる)の影響を与えてしまうことにもなりますからね。そもそもエゴ・欲望に向かわせたい勢力の方もいるでしょうから、あくまで私視点でのプラス・マイナスに過ぎないのですが…。

物理的次元のモノ、お金、形式、世間体など、外側の世界にとらわれるあまり、精神世界や生き方、思想、内面の世界を置き去りにした結果としての、この現代社会があると思っています。この世の本質や心の豊かさ、充実感に目を向け、一人一人が自分を見つめ直し、内面の世界の生き方、思想を固めていくことが、この世を変えるカギになってくるのではないでしょうか。精神世界に偏りすぎてもダメで、物理的世界と精神世界のバランスを保って生きていくことが重要だとは思うのですが、今の世の中はバランスが狂いに狂っているように見えます。私自身、まだまだ精神的に未熟な面が多いので、内面の世界を整えることに注力していきたいですし、その営みに一生終わりはないとしても、少なくとも向こう数年間は内面の世界の探求を第一に生きていきたいと思っています。

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