過保護な親も厳しい親も結局同じ

10月は不正や道徳について長々と綴ってきました。不正や非行、犯罪と道徳・モラルについて考えていくと、どうしても子育ての問題に行きつくし、世の中全体の治安と子育てというのは切っても切れない関係にあるなぁと痛感します。ステレオタイプ的な見方かもしれませんが、世の中で犯罪を犯してしまう人というのは、たいていは複雑な家庭で育っていたり、裕福であっても家が厳しかったりと、いわゆる「夫婦仲睦まじく愛にあふれた家庭」とは無縁な環境で育ってきた人が多そうな感覚はどなたにもあるのではないでしょうか。

先日もある有名タレントのご子息が犯罪で捕まったというニュースがありました。親御さんが「厳しく育てすぎたのがいけなかったのかも…」といったような発言をされていたようですが、まぁそうだったんじゃないのかな、と私には感じられました。芸能人の子だからと甘やかしてはいけないと思ったのかもしれませんが、かといって厳しくし過ぎるのも間違っていると思います。甘やかす、過保護にしてしまうと、それはそれでやりたい放題になってしまったり、世の中を舐めて見下すような人になりそうですし、厳しくし過ぎてもその抑圧が非行や犯罪に走らせたりするのでどっちもどっちです。

結局のところ、過保護も厳しい親も、子どもをありのままに観ていないし、「あなたのことを信頼していません」という共通のメッセージを発しているように見えます。子どものことを信じていないから、なんでもやってあげようとする、逆に厳しくして自己肯定感を下げるようなことを言うのではないでしょうか。子育てに限らずあらゆることについて言えると思うのですが、甘やかすのも厳しくするのもどっちもNGで、相手を「ありのままに観る」というのが何よりも大事なのではないかと強く思います。そしてそこにどうしても必要なのが、信頼であり忍耐であると思うのです。そんな育て方をされた子どもは、どうしても自分に対する信頼(つまり自信)がなくなり、自己肯定感の低い人間になってしまうのでしょうね。

過保護も厳しい親もどちらもエゴの強いパターンだと思います。相手を自分の思い通りにしたいという気持ち、「早く」「もっと」の意識が強く、子どものことを信頼して見守ろうという気持ちに欠けているのでしょう。そのどちらの両極端でもなく、良いでも悪いでもなくただ「ありのままに観る」という態度がどれほど難しいかということです。本当の意味での愛について深く自分を見つめたことのある人、ものをわかっている親に育てられてはじめから愛について当たり前に知っている人でなければ、通常はどちらかに偏ってしまうものなのかもしれません。過保護に育てられた人は子どもを過保護に育てるし、厳しくされた人は厳しく育ててしまう、もしくは反面教師で両極端に振れるパターンが多いのではないでしょうか。

世の中の不正や非行、犯罪がなくならないのは、子育てにその根本原因があると言っても過言ではないと思います。道徳心やモラル、良心といったものも、親に愛情深く育てられたかどうかによって差が出てくる部分があるのではないかと感じますし、子どもは親の背中を見て育つことを考えると、まずはやはり大人が襟を正さなければならないと思います。過保護にするのも愛ではなく、厳しくするのも愛ではないということ。どこからどう切り込んでいっても、世の中の諸問題は子育ての問題に行きついてしまって、だからこそいつも私は特に超幼少期の子育ての重要性について書いているんですよね。表面的に法や規制で縛るだけの方法ではなく、内側から不正や非行や犯罪をしようと思わなくなるようなあり方や根本原因を考えていく必要があると感じます。

オフ会リクエスト募集中~→オフ会・イベント情報

note過去記事一覧はこちら

ホリスティックな健康をサポートするGreen Cosmoのページはこちら

「note見た」で友達申請→村上遥のFacebook

Twitter再開しました!→Twitter

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?