この世は「分離感」のドラマであるということ

先週に引き続き、今週も観劇してきました。劇団四季のミュージカル『ウエストサイドストーリー』を観てきました。私はミュージカルや演劇が好きなのですが、この作品は特に思い入れがあり、映画ともども何度も観ています。あらすじをお知りになりたい方は、劇団四季のあらすじのページへ。

アメリカの話ということもあり、現代社会(いや、もっというと有史以来)における普遍的な問題を見事に描いた作品で、救いが一つもない(観終わった後暗い気持ちになる)のにこれほどまでに有名で人々に支持されるという世にも珍しい傑作です。簡単に言えば、私のいつも言っている二項対立とかピラミッド組織の悪いところが良くわかるごりごりの作品なんですね(笑)。不良グループ「ジェット団」と「シャーク団」の対立関係、団の中での男女差別や男女の対立、シャーク団はプエルトリコ系の移民なのですが、その中での「帰りたい」と「ニューヨーク派」の対立、憎しみが憎しみを生むという連鎖、団の中のトップには絶対服従であるというピラミッド上下関係、そもそも彼らのような移民がスラム街を形成することになるという資本主義社会の構造。一度やめよう、その世界から抜け出ようと思っても、一時の感情でまた泥沼にはまってしまう。はっきり言って夢も希望もない話です。人もたくさん死ぬし、(たった二日間の)激しい恋愛模様も描かれるので、全体的に振れ幅の大きい刺激的な作品ではあります。それにマッチした美しい音楽と振付にも釘付けになりますしね。

ありとあらゆる問題はすべて「二項対立」、つまりは「分離感」から生まれるわけですね。そしてその数は決まって「2」。いつも出てくる二元論ですね。団の対立も3つではないわけです。戦争だって常に立場は2つ。コンピューターも二進法。自分かそれ以外、敵か味方か。朝と夜、幸せと不幸、過去と未来、光と闇、生と死、陰と陽…。一方が存在するためにはもう一方も存在しなければならない二元の世界。それがこの世の中です。「分離感」がなければ何もなくなってしまいます。

ありとあらゆる物語のストーリーを思い返してみても、必ずと言って良いほど、この「二項対立」の構図は出てきます。それは、「二項対立」がこの世のすべての基本だからです。二項対立がなければドラマになりません。「みんなが仲良くて平和で不死身でうまくやっています。」という物語なんてつまらないですからね。書いていて「金持ち・貧乏」の二元論を俯瞰するの記事にそっくりになってきましたが、そう考えてみると「分離感」がない世界って全然味気なくてつまらないと思いませんか。私たちは好んで「分離感」を体験したくて、こんな荒廃した時代の日本に生まれてきているのではないかと思うこともできますよね。ごりごりの資本主義、対立、ピラミッド構造など「分離感」が強すぎて、この世を絶対だ、と思ってしまうと苦しくてしょうがなくなってしまうこともあります。この世に肉体を持って生きている以上「分離感」から逃れられることはなく、どんなにスピを学んだり覚醒したりしても、「分離感ゼロ」という状態にはなりません。だったらもう、「せっかくだからこの分離感を楽しんでやろう」くらいの心意気でもいいのかもしれません。「戦争ダメ絶対、愛と調和と平和を!」って私も本気で思ってますけど、その発想自体が「戦争と平和」という二元論、分離感満載ですからね。分離を前提とした世界で「平和推奨派」の立場にいるってだけです。「戦争反対!」って争う時点で対立構造に軸足入れているわけですからね。どちらの立場で物事を捉えるか、それだけです。結局行きつく先は、どこまで行っても二元論ですからね。

一つ言えるのは、その「分離感」に思いっきり巻き込まれてしまうと、この世は結構つらくなるということです。らく~に生きるためには、「分離感」を素直に認め、俯瞰して世の中を見つめるということが重要だと思います。そういう構造が大前提であると意識して、日々生活するということです。まずは自分自身の分離感を減らしてゆく。それは自分のやりたいことに忠実に生きることであったり、無理や我慢をしないことであったり、感情を抑圧しすぎないことであったり、今すぐできることはたくさんあります。自分自身、一人一人が「統合」されてゆくことで、この世の中全体の「分離感」も徐々に弱まっていき、楽に楽しく生きられる社会に変容していくと確信しています。

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