「価値」という言葉の中身を掘り下げる

昨日の夜はなんだかとても頭が冴えていて、気づくとA4の紙にこれからどんな意識で、どんな方向性でやっていくかということを書き殴っていました。前から思っていたんですが、どんなにメモや板書などがデジタルでできるようになったとしても、紙とペンの偉大さには敵わないなぁと改めて感じましたね(笑)。講義メモにしても、チラシづくりにしても、何かを考える時にも、私はほぼ100%紙に書いてますね。なんだか話題がそれてしまいました(笑)。昨日はとにかく「価値」という言葉がたくさん出てきて、「自分の価値とは?」「価値のあるものとは?」といったことを夜の間じゅう考えていたんですね。

ツイッターで思いついたことをたまにつぶやいているのですが、最近ちらっと書いたことに「情報・知識の無料化」のテーマがありました。「情報の価値」といったテーマがすごく気になったんですよね。なんでもかんでも無料化ししてきてしまうと、情報やアイディアにお金を払うという意識が希薄になってきますよね。また、動画サイトの一般化により音楽などの創作物に対価を払う意識も薄くなっているように思います。人生の時間は有限で、目にできる情報、耳にできる音というのも限りがあるものです。無料でインスタントに手に入る情報というのは、購買に誘導するような広告、宣伝が多く、それに価値がないとは言わないのですが無料だからと安易に飛びつくのはどうかなとも思います。価値がある情報を見極め、意識的に取り入れることはとても大切だなと思ったんですよね。

AIと人間を対比して書いた「人間にしかできないこと」の価値は高まるAI(人工知能)セミナーで感じたことの記事、そして人間への最大のギフトは「クリエイティビティ」の記事にも書いたように、人間の特性や特徴を意識した生き方や価値の創造というのは重要だと思っていて、じゃあそれって具体的に何なんだろう?ということを昨夜は考えていたわけです。もちろん一般的なレベルと、私個人のレベルでは抽象度が変わってきます。共通して言えるのは、「創造性・独創性」、「研究・実験」、「統合・発見」は価値になるだろうということ。ここアンダーラインです(笑)。

それプラス、「やっぱり勉強大事。」と最後にメモしました。自分の専門性を高めるということですね。無料の情報の洪水に溺れている暇があったら、自分の専門性を高めるための行動をした方が、自分自身の価値向上につながるのは明らかですからね。少しお金がかかっても自己投資と思って学びにお金をかけたり、専門書を読んだりするのは全く無駄ではありません。これはもちろん自戒でもあります。そして、何より大切なのが自分を深くしっかりと見つめ直すということ。これはずっと耳タコなほど繰り返し書いていますが、それくらい重要なんですよね。「あなたは○○が得意ですね、○○に向いています」と誰かに言われたとしても、自分の第3チャクラ、肚に落とすことができなければ馬耳東風です。自分でピンときて、「本当にそうだ!」と思えなければ気づきや意識の変容は起こりませんからね。

この記事で書いたことは、どちらかというと対外的な側面での「価値」であり、絶対的な「自己肯定感」や「自己価値感」とはちょっと意味合いが違うかもしれません。よく「自分の価値を高めよう」とか「自分の経験を価値化しよう」とかって私も軽々しく言ってしまうんですが、じゃあ具体的に自分は何に、どんな要素に「価値」を感じるのだろう、ということを掘り下げてみました。普段漠然ととらえている言葉の定義をとらえ直すのはとても有意義なので、そのことも書いていこうと思っていたところです。noteオフ会でも、参加者の方々で言葉の定義の捉え直しによる内観ワークなどをやっていけたら良いなと思っています。まだ思考が完全にまとまっていないので、引き続きこのテーマにお付き合いいただけたら幸いです。

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