インターネットは情報のパラレルワールド

先日ツイッターにも思いついてつぶやいた話。以前から私は「知識偏重型」って本当に問題なの?の記事や、知識・情報の収集を新たな知見にといった記事などで、知識を得ることは大事であると書いてきました。受験勉強での知識詰め込みに反対するような意見として、「知識は今や検索すれば手に入るのだから覚える必要はない」といった内容も見かけますが、私は「そうだろうか?」と疑問に思っています。検索するという行為一つを取ってみても、あるキーワードをそもそも知っているか、検索できるかというところに差が出るのではないかと思うからです。

インターネットは情報のパラレルワールドみたいなものだと思います。人それぞれの意識に応じた情報を得ることができるということ。同じインターネットという大海に放り込まれたとしても、その人の意識によって得られる知識・情報は全く違ってきます。浅い情報もあれば、深遠な宇宙の叡智をこっそり書いてくれているサイトもある。どんな情報を得られるかというのは、完全にその人の意識によりますよね。「情弱」という言葉も一般的に良く使われるようになりましたが、情報やインターネットに疎いというよりは、意識の問題ではないかと思うのです。

最近私は自分の意識の変容を感じていて、宇宙シナリオのダウンロードがますます強化されてきた感があります。その意識の変容の結果として、かなり濃ゆい宇宙の叡智を書いた本やサイトなどにアクセスできるようになり、新たな発見や驚きを日々経験しています。また、過去に読んで難しいと感じた本を改めて読んでみると、その当時には気づかなかった発見があったり、内容が深く読み込めるようになりましたし、当時は難しいと思った内容が今ではすらすらわかるようになったりと、意識の変容によって情報に対する感じ方がこんなにも変わるのかということにも気づかされました。同じ本を読んでも、その人の意識によって受け取れる内容は違いますし、今の自分の意識より深い意識の本を読んでも、その真の価値はわからないことも多々あると思います。

やはり外の世界というのは完全に自分の意識の投影であることが腑に落ちます。「可処分所得」、「可処分時間」とともに、「可処分情報」(私なりの意味:見聞きできる情報という意味)もかなり限られているので、どんな情報に触れられるかによって人生が大きく変わってくるのは明らかです。そのことについてはインスタントな情報の「価値」を考えるという記事にも書きました。やはりこの情報社会を生き抜く上で、「情弱」というのはとても不利だと思います。ではどうしたらより深く本質的な情報が得られるかというと、意識を深め、拡大していくことが一番の解決策ということになります。それはつまり、エゴの意識から愛の意識に変容していくということです。短絡的、近視眼的な視点から、俯瞰的、抽象的な視点に視座を変える必要があります。

私自身、2013年頃から引き寄せ系の本を読み始め、それから3~4年経ちますが、読む本が本当に変わってきました。おそらく当時から数えると数百冊くらいは読んでいると思います(笑)。意識の変容や知識の集積は一朝一夕というわけにはいかず、年単位の時間がかかっています。意識改革を進め、あらゆる知識を得てきたからこそ、それを「知恵」に変える、つまりは抽象化することができるようになってきたように思います(「知識」を「知恵」に変えてゆくの記事も参考まで。)。意識が拡大すればするほど、世の中を俯瞰して見られるようになるので、些細なことで怒ったり、悲しんだりすることは減りました。また、不安や恐れなどの感覚が薄まり、絶対的な安心感や自信を感じられる時間も増えましたね。意識の変容とそれに伴う新たな知識・情報によって、人生が大きく変わっていくのを実体験しています。すべては「原因と結果の法則」なので、まず意識の変容があって、それから得られる知識・情報が変化していくものです。「情弱」から脱し、インターネットのパラレルワールドの中から本質的な情報に触れられるようにするためにも、まずは意識の変容が必須であることに間違いはありません。

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