明らかに酷くなる社会とポジティブな心

気付けば2018年も終わりに近づき、今年は随分とnoteの更新頻度が下がったなと思う今日この頃…。書きたいことはたくさんある一方でこれまで通りのやり方でnoteを書き続けるかどうかは考え中。来年はどういう形になるかはわからないのですが、引き続きお付き合いいただければ幸いです。noteを書いていない間も何もしていないわけではなく、社会についてこれまで通り本を読んだり勉強したり自分なりに考えたりしていて、より深い本質的な考察ができるように地道にコツコツ取り組んでいるところではあります。

世の中のことがわかってくるようになると社会の問題がこれまで以上に見えてくるようになってきて、あらゆる分野で国民の幸福とは反対の、的外れな施策が行われているなぁと思うようになってきました。「こうやって日本が滅ぼされていくのだなぁ」と思ったり、いやいや、日本人自らが無知と愚かさによって「自殺」していくんだなぁと思ったり(比喩的な意味です)、酷くなる社会を目の当たりにするにつけては結構暗い気分になったりもするのですが、それでも私個人の日常生活レベルでは気持ちを落とさずにいられたりして自分の内面の変化を感じることが多い2018年でもありました。

ここ最近は「ネガティブ」と「ポジティブ」について考えることが多く、よく耳にする言葉でありながら使う人や聞いた人によって取り方や意味が違う漠然とした言葉だよなぁと思ったりもしていました。現時点でもパリッとした定義はできていなくて、模索途中という状況です。私はいわゆる表面的な「ポジティブシンキング」みたいなのが苦手で、「前向きに、楽観的に考えよう!!」のゴリ押しを冷めた目で見てしまうタイプです。その人がそういう状態じゃないのに無理やりポジティブシンキングにさせようとするのは、虚偽・虚構・偽りじゃないのと思ってしまいます。「そうしよう」と思って意識づけるのではなく、心の底からそういう状態にならなければ意味がないのではないでしょうか。

ものの見方というのは自己肯定感と大きく関わっているのは確実だと思っています。自己肯定感が低い人は何につけてもネガティブになりがちで、過度な自己卑下や羨望、嫉妬、被害者意識、依存、自己中心的、感情的批判、他人のせいにする…といった態度に陥りがちなのではないでしょうか。100%ではなくとも、子の自己肯定感は幼少期の親子関係で決まる部分が多いと考えています。私自身も「母親に愛されてこなかった」という思いを随分引きずって生きてきましたし、過去のnoteはそういった話題が多かったです。自己肯定感が低いなぁ、自分はダメだなぁという思いに苦しんでいた時は本当に苦しかったですし、また、その苦しさというのは上記のネガティブな態度のことであったと感じます。

2018年に大きく変わったことの一つを上げるとすれば、内面の改革に取り組んだ結果、そういったネガティブなものの見方・考え・態度というのが随分となくなり、自分はダメだという感覚や「母親に愛されてこなかった」という意識がなくなってきた、ということです。数年前まであんなに苦しんでいたにもかかわらず、です。これで生きるのが相当楽になり、また不思議なことに、母親からの攻撃も減り、割と良好な関係を築けるようにもなりました。これにより、これまで私を苦しめていた元凶はいつの間にか抱いていたネガティブな想念・思い込みであったということがよくわかりました。これはもっと言うと、「自分に対して抱いていた」ネガティブな想念・思い込みであった、と言えると思います。自己肯定感が上がり「ありのままの自分」(こう書くと陳腐ですね)でいいや、と思えるようになると、上記の「過度な自己卑下や~」に苦しむことが減り、「こういう感覚をポジティブというのかもしれない」と思うようになりました。

明らかに酷くなる社会を目の当たりにして、絶望的な気持ちになることはまだあります。それでも、そういった外の世界に引きずられすぎず、自分自身はポジティブな心を保って生きることが、以前よりできてきているように感じています。人々は誰しも幸せになりたいと思って生きているはずですが、結局のところ「幸せって何なのかな」と思ったりもしていて、はっきりとした答えはわからないにしても、「ポジティブな心」がその重要なカギを握っているのは間違いないだろうと思う年の瀬なのでした。このテーマはとても重要なので、来年以降も引き続き考えていこうと思っています。

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