自分に対しても「いい子ぶる」習性

ここ一週間くらいの記事を読んでいただくとわかるとおり、最近はあまり外の出来事に興味がわかず、ひたすら内面と向き合ったり、本当はどうしたいのか、本音はなんなのか、嘘偽りない感情はどんなものか、といったことを内観する日々でした。世の中がどうあればいいとか、資本主義が問題だ、とかそういうことよりも、ひたすら自分というものについて興味があったんですね。

今は「感情」に興味があるのですが、ずっと感情を抑圧することが習慣化していた私は、自分に対してもものすごく「いい子ぶって」いたし、都合の悪い感情は見てみぬふりをしていたことが多かったのだなと気づきました。ここ数日感情と向き合い始めてから、相当ドロドロとした自分の感情を発散させてきましたが、まだ完全にはすっきりしていない感じです。かなり醜い感情であったり、激しい思い込みによる差別的意識であったり、「あったあった、そんな感情」と思いながらも、味わい切って解放しています。仕事を辞めたりしたこともあって、かなり自分の本音と向き合ってきたつもりでしたが、ポジティブな本音は受け入れやすくとも、一見ネガティブに見える本音には気づきづらいようで、自分の中の抵抗感もかなり感じました。

以前からうすうす自分でも感じていましたが、自分はこうでありたいという意識が強すぎるため、どうしてもそれに反する感情や意識をないものとみなしたくなってしまうようなのですね。さすがは月星座おとめ座、という感じ(完璧主義的なところがある)。私だけでなく多くの方にそういう傾向はあると思いますが、今はちょっとの身体の変化や感情の動きや、過去繰り返してきたパターンにもかなり敏感になってきており、少しのことで「気づき」が得られるようになってきたからこそ、深い部分の自分も見えてきたような気がします。

自分に対しても「いい子ぶる」ということは、やはり本音で生きていないということになり、自分に対しても殻をつくっていて、奥深いところを見つめることに対する恐れが顕在化してきたということです。さきほどの瞑想中に浮かんだイメージや言葉の中に、「自分をさらけ出すことを恐れるな」というものがあり、どんな感情を抱く自分、どんな意識の自分もすべて受け入れて、見てみぬふりをせずに直視しなさいというメッセージを受け取りました。それは今までの自分に欠けていた部分だと自分でも思います。

うまく言葉にできなくて恐縮ですが、自分の感情をさらけ出し、どんな感情も認めていこうという意識になってから、本当にすっきりした感覚を得ていますし、今まで以上に自己肯定感が高まっている感じがしているんですね。それは当たり前と言えば当たり前なのですが、やはり偽りの自分を生きている限りは自己肯定感が低いままで、何をするにも自信がないし、常に何かにおびえながら生きていくことになる気がします。「本音で生きる」と言うのは簡単ですが、本音で生きているつもりでも、本当の本当の心の奥底の本音で生きるためには、深く自分と向き合う覚悟が必要で、根気強く内観し続けなければならないなぁと実感しました。

これは自分と自分の話のようでいて、人間関係にも深くかかわっている話で、自分を偽って生きている限りは、対人関係においても必ず何か不調をきたします。どこか相手との間に壁を作ってしまいますし、殻に閉じこもりになります。自分を偽るということは、傷つくことを恐れているということでもあり、その状態で健全な人間関係を築こうとしても、深い関わりになればなるほど不調和を経験することになると思います。相手は自分の鏡であるというのは本当にその通りで、自分とうまく付き合えている人は人間関係でも悩むことが少なくなるでしょうね。

最近自分語りの記事ばかりで恐縮です。夏至以降の宇宙の流れに乗るためにも、自分自身の不調和に早めに気づいて、意識レベルで微調整していく必要があると感じています。これからは自分自身に偽りなく、本音で生きなければ宇宙の流れに振り落とされてしまう時代になるようです。もっと楽に自由に生きていくためにも、過度に自分に対して「いい子ぶる」行動パターンを手放し、認めたくない感情を含めた「本音」ベースで生きていこうという決意を新たにしました。

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