「成功を目指さない」という幸せ

前回の記事に、この世のしくみは宗教・思想がベースとなっているということを書きましたが、この話は何重の意味でも真実です。古代から脈々と続く人類支配の歴史が宗教・思想と不可分であるという意味でもそうですし、我々がメディアの洗脳や謎の「常識」という呪縛=思想・イデオロギーに支配されているという意味でもそうです。特に、なんでもかんでも「成功」するのが良いとか、有名になること、人気者になることが良いことだ、それをみんな目指すべきだ、的な思想や価値観というのはあまりに広く共有されているように思います。それは本屋さんに並ぶ成功哲学本、自己啓発本の多さにも如実に表れていますよね。

何を隠そう私もそう思っていましたし、PVやフォロワーは多い方が良いんだとか、好きなことで成功するのが良いことなんだとなんとなく思っていました。しかし、最近の価値観の激変により、「そういうのどうでもいいや、目指さない方がずっと幸せでいられるじゃん」と気づくようになってきました。そうなってから心が平安で、穏やかでいられる時間が増えたように思います。何かを目指している限りは心が乱れることが多いんですよね。結婚(妊娠)したくてたまらない女性が他人の結婚(妊娠)を心から祝えないなど、そういった例は山ほどあるかと思います。自分にそうしたいという気持ちがあるから心乱されるのであって、そもそもそうしたいと思わなければ感情を揺さぶられることもないですよね。

なんで成功したいの?というところを紐解いてみると、やはりそこには他人に認められたいという承認欲求だったり、他人を支配したいという気持ち、贅沢な暮らしを送りたいという気持ちなどがあるかと思います。世に出て有名になりたい、注目されたいという方も多いのかもしれません。しかし、現実はコネと血縁社会であり、権力者と親戚とか○○家一族とか、そういったパワーがないと、なかなか有名になったりメディアで取り上げられたりすることは難しいです。例えば、キー局のアナウンサーになりたい女性はたくさんいらっしゃいますが、現実は大物や関係者の子、孫、一族などで固められていて、コネなし庶民はほぼ入る隙なしです。結局潤うのは夢を見させるアナウンサー学校ということではないでしょうか。「庶民に(実際はコネがものを言う)成功を目指させる」というのも、メディアに作られた思想・イデオロギーなのではないかと思いますね。夢を追う人を(応援するようで)搾取するビジネスも多数あるように思えますからね。

「なりたい理想像(成功・目標・夢)」的なものを設定するのは良いことのように思えるし、実際にそれを目指すことで何かを成し遂げる人も多いです。一方で、(これもよく言われていることですが)何かを目指してしまうとそうでない自分に不足感を感じがちだったり、うまくいっている人に嫉妬して感情が乱れたり、自分はダメなんだと落ち込んだりしてしまうことにもつながりますよね。人々が目指しがちなのは「結婚」「内定」「成功」といった一地点的なもの、もしくは漠然としていてゴールが見えないものだったりするので、刹那的な幸せや「もっともっと」という欲望との闘いに苦しむ人生だったりもするかもしれません。「成功を目指す(する)のが良いこと」というのは本当の本当の本当にそうなのでしょうか?それはただメディアや世間の「常識」といった思想やイデオロギーに支配されているだけということはないのでしょうか?「成功」に夢中になって家族や親しい人を失う人生…それは幸せなのでしょうか?あまりにも当たり前になっていてそれが思い込みだと気づきもしない思想ほど、人々を苦しめる最たるものだったりもします。自分自身が知らないうちに縛られている思想に意識的になり、見つめ直してみることで新たに気づくことがあるかもしれません。

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