「自分中心」になることを恐れない

「自己中」と呼ばれるいわゆる自己中心的な人物は、嫌われ者の代表格ですよね。身勝手、わがまま、自分さえよければいい人、みたいな言葉でも言い表されます。こういう人が近くにいると、振り回されて周りはほとほと疲れます。どこへいっても嫌われているのに、本人はその自覚がない、というような困ったさんが多い気がします。そういう人は他人と深く関わることができないので、次第に孤立していくでしょうね。

一方で、私は誰しも「自分中心」に生きているものだと思いますし、逆に「他人中心」に生きる方が問題だとも思っています。自己中問題と他人中心問題はなんか似たようなことを言っているようで全然意味が違うので、言葉じりだけを見て判断してもらいたくないところです。「自分中心」というのは、いつも言っている通り、世界というのは我々の捉え方ひとつであり、同じ世界を生きているようで一人一人違った世界を生きているということ、と関係しています。同じある出来事が起きた時に、それをどうとらえるか、それに対してどう行動するかは本当に人それぞれなわけで、それぞれの出来事に意味づけをして、ストーリーを作って生きているだけなんですね。だから、誰しも「自分中心」にしか物事を捉えることができないわけです。

しかしながら、見せかけの「他人中心」の世界で生きている人というのもいっぱいいて、他人の目を気にしすぎてしまったり、親の言いなりになる人生を送ったり、世間体や見栄だけで生きてしまったり、そういう人がほとんどだと思います。そういう人は、「他人に自分の軸を明け渡してしまっている」と自分自身で設定した「自分中心」の世界で生きているわけですね。結局、そういう人も「自分中心」でしか物事を捉えられないという普遍の法則からは外れないので、「自分中心」ではあるんですけど、実質的には他人の人生を生きてしまっているんですよね。自分で物事を選択、判断できなかったり、決断できなかったりするだけなのに、他人や環境のせいにしてしまうというのももちろんそれに含まれます。「自分はどうしたいのか」がわからないし、それに向き合うことを避けているし、自分の本心を見ないようにして生きているってことです。だって、その方が楽ですからね。

自分の人生は自分で切り拓くもの。この世にはびこる一番厄介なものが「依存」なわけです。他者依存、お金依存、国家依存、アルコール依存…「○○がないと生きられないという感覚」これが、苦しみの根源という気がします。ですから、他人の軸で生きているとすべてが依存体質になってしまい、自分では何もできない人になってしまいます。

今はとにかく、自立した個人を増やすことが急務なわけです。今の日本人に圧倒的に足りないもの=自立・自律心の記事にも書きましたが、今の社会は「支配・依存」関係をベースに成り立っていて、なかなか自立した意識を持っている人というのは少ないように思います。日本人の特徴として、和を重んじるあまり、「自己中」になることを極端に恐れる傾向があると思います。空気を読みすぎるとも言えますね。空気が読めるということはテレパシー能力も高いということなのですが、それをうまく使うどころか、下手にその能力があるばっかりに苦しんでいる人がいかに多いか。

身勝手でわがままなのと、自分軸で自立・自律して生きるというのは似て非なるものだと思います。自分がしっかりしていれば、自分が自分であることに常に満足していられるので、身勝手やわがままなどの問題行動は起こさなくなります。自己肯定感も高まるので、過度な気遣いもしなくなるし、他人を否定したり、非難することもなくなるでしょう。いい意味で他人には興味がなくなってくるはずです。問題行動を起こす困ったさんに対しても気にならなくなるし、過度に他人の目を気にすることもなくなる。それってすごく生きやすいし、スマートな生き方っていう感じがします。無駄な労力を使わなさそうです。他人中心の生き方って、どうしても無駄なエネルギーを使ってしまいますからね。

「自己中」ではなく、本当の意味で「自立・自律」して、「自分中心」であることを恐れない生き方。みんなが自分らしく魂を輝かせて生きられる社会になるよう、これからそんな個人が増えるようなこと、人々がスムーズに移行できるようなサポートをしていきたいなぁと、私自身気持ちを新たにしたところです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?