日々「自分で良かったと叫びたい瞬間」に近づいてゆく

私は記事を書きためるということがないので、いつもその場その場で思いついたことを基本的に書いています。今日はアルバイト先で剪定した木を燃やそうということで、たき火をしたんですね。最近色々と感情を解放したり、ポジティブになったと思ったら更なるネガティブと対峙したりして、自分の意識がダイナミックに変容している自覚がありました。火と聞いた瞬間に、「燃やしたい!全部燃やせ~!」という気持ちが高まり、今日はずっと火のそばにいて、めらめらと焚き上がる炎を見つめていました。(おかげで煙くさいです)

今でも目を閉じると炎の残像が目に浮かぶようです。そのくらい夢中で木を燃やし続けました。バチバチと音を立てて木が燃える。その時に感じたことを忘れないうちに書いておきます。まず、人生って本当に刹那的だなぁ、ということを感じました。さっきまで葉っぱだったのに、一瞬で灰になってしまう…死んで肉体を離れると、地球での生活はあっという間の夢だったように感じるらしいと聞いたことがありますが、本当にこの人生は刹那的なものであるということ。そして、「情熱の炎を燃やせ」「お尻に火をつけろ!」というようなメッセージも感じました。私は外面的にはあまりアツいことは言わないし、クールな印象を受けるだろうなと思うのですが、このnoteを見てもわかるように、意外とこの世の中に対する熱い思いを持ってたり、「自分の人生を生きたい」ということに対する情熱は強いです。慎重派なのでなかなかお尻に火がつかない部分も自覚ありです。内なる情熱をもっと表に出しなさいと言うことと、そろそろ行動しなさい、ということかなと感じました。

またここで大きく話題がそれます。ここ一週間くらい、大学生時代に大好きだったflumpool(ミュージシャン)の曲がめちゃくちゃ聞きたくなって、ずっと聞いていたんですね。そんな中今日、「炎」=「Flame」っていうよな、と思っていたら、flumpoolの「フレイム」って曲あったな、と思い出し、歌詞に注目して再度聞いてみました(歌のフレイムは「frame」の方)。なんか、歌詞が今の自分にしっくりきすぎていて、ほろほろ泣けてくるのです。この曲いまだかつて100回は再生しているし10回は歌っているのに、いまが一番ピンと来るときだったんでしょうね。全部良いんですけど、一部引用します。(歌詞サイトのリンク

「走った分だけ 磨いた分だけ すべて報われるわけじゃない それでも時々見える希望(ひかり)に 心奪われて また立ちあがって 歩き出す」

「今がすべてで現在(いま)がすべてじゃないと 逃げたり慰めたりしながら進んで 花びらが舞う風の中僕は ひとつひとつと足跡を残してゆく せつなさや虚しさの瓦礫の中 もがきながら 希望(ひかり)探している」

「指で創ったフレイムを覗きこめば 遠くで手を振る真っ白な僕がいる くたびれたリュックは空っぽのまま それでも微笑(わら)ってyesと答えたい 自分で良かったと思える瞬間 この世に出会えてよかったという瞬間 自分で良かったと叫びたい瞬間を追いかけて歩く 生きてゆくよ」

ぐっときますね…。イチローに学ぶ「続けること」の大切さとも似てくるのですが、売れているミュージシャンでも、きっといろんな葛藤があるだろうし、「売れる」という目標があって、それは達成されたけれども、デビュー曲は自分たちの曲ではなかったことへの複雑な気持ち、人気を維持しなければならないプレッシャーや、事務所やプロデューサーの意向と自分たちの意向のくいちがいとか、なんかこう、どこへいってもその時点なりの悩みというか課題というのは常にあって、一つの目標を超えたら超えたでまた何かにぶつかって、そうして人生は続くのだということ、そしてそれこそが人生の醍醐味なのだな、と感じました。一番ぐっとくるのは最後の「自分で良かったと叫びたい瞬間を追いかけて歩く 生きてゆくよ」です。ここは原曲を聞いていただきたいのですが、非常にドラマチックで涙を誘う部分です。「自分で良かったと思える瞬間」というのは、今の私にもありますが、「自分で良かったと叫びたい瞬間」というのは、なかなかない。「思う」ことと「叫ぶ」ことには結構な乖離があります(私の中で)。そこらへんが「うまいな!」と感じます(笑)。

人生もそうですが、悩みというのも常に刹那的。去年の今頃はまだ公務員で働いていて、一部の人に年度末で辞めると打ち明けたかどうかというタイミングでした。「上司にいつ言おう…」とか、「親になんか言われるかも…」とかそういうことが頭の中を占めていたと思います。今年の1月にnoteを書き始めて、1か月たった2月頃には、Facebookでリアル友達にこのサイトをシェアするかどうかで悩んでいました。今はまた別の悩みに直面する。きっと1か月後はまた違うことを考えている。すべては越えてしまえば悩みでもなんでもなくなることなのですが、その時はずっとそのことばかり考えてしまうものです。

何か一つ目標を達成したら、また次の目標と課題、悩みが湧き起こる。それは誰しも同じこと。自分のステージが上がるたびに、また深く自分に向き合うことになる。自分と向き合い続けられる人だけがトップでいられるのだろうし、そうすることで「自分で良かったと叫びたい瞬間」に近づいていくのだと思います。身のまわりのあらゆるできごとから気づきのヒントを探し、より自分らしい人生に舵取りしていきたいと感じます。

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