思い上がると転落するのが世の常

自分自身のエゴとハートのバランスを見つめ直し続けてきた11月も終わり、今日から12月。それでもまだ自分のエゴと向き合う日々は続いています。以前から、売れ続けるために必要なことを考えるの記事などにも書いてきたように、一時的に売れることはできてもそれを永続的にキープするのは本当に難しいことだと痛感していて、やはりエゴベースで物事を進めていくのは本質的ではないのだと感じています。

いつかも引用したかもしれませんが、古典文学『平家物語』の冒頭部分はいつ読んでも、万物普遍の法則を表しているなぁと思います。

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらは(わ)す。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

中学生の時に暗唱したこの冒頭部分。誰しもがこの名文に触れて大人になっているはずなのに、なかなか腑に落として実践できる人はいないようです。こういった過去の名文を見ると、現代の人々が特にエゴが肥大しているというわけではなく、少なくとも有史以降の人々の意識はそう大差ないのではないかと思うこともあります。現代は「お金お金にとらわれるあまり、人々のエゴが暴走している!」と思ってしまうこともありますが、昔は昔でお金以外のものにとらわれて、人々のエゴが暴走していた状況はあったのでしょう。

今の社会を見渡してみても、「おごれる人も久しからず」の状況は多々見られるし、エゴまみれになり欲に目がくらみまくって迷走してしまう人は、必ずと言っていいほど転落していきます。組織か個人か、程度の差などによって、転落まで持ちこたえる時間の長い短いはあるにせよ、これは古くから伝わる絶対的な万物普遍の法則なのであって、逃れられるはずのないことです。特に現代はネット社会ということもあり、ブラック企業の実態は暴かれ、グレーゾーンの会計処理も発覚し、内部いじめは明るみになり…という流れが一段と速くなっているようにも思います。その流れとともに人々も目が覚め、「信頼性」「誠実さ」で購買をするように徐々になっていくので、いくら大規模CMでイメージアップを図っても、見抜ける人には全部お見通し、見向きもされないようになっていきます。

私が自分自身のエゴに向き合っているから特に敏感なだけかもしれないのですが、人や会社組織などのエゴとハートのバランスや意識状態について、無意識的にすごく読み取っている感覚があります。ブラック労働で有名な企業や、消費者を欺くような売り方をするお店などにはやはり行きたくないと感じますし、「信頼性」「誠実さ」ベースでものを見るように日々意識が変化しています。私自身にももちろんエゴはあるわけなので、「なんて不誠実な対応!」「上から目線だなー」と思うことがあったとしても、自分の中のエゴを見せられているのだな、と落ち着いて俯瞰して見るようにしていますね。自分のエゴや傲慢さを認めるってなかなか苦しいんですけど、なんかもう習慣になってきてしまいました(笑)。

私のnoteを読んでくださっている方々は、エゴが肥大したビジネス、会社、人などに疑問を感じている方が多いのではないかと思います。一般的にはエゴ丸出しで行け!と指導されることが多いけれども(売上第一的な)、なんか違う…と思うからこそ私のnoteにたどり着く(笑)。エゴ欲まみれ、傲慢な態度で思い上がったら転落するのは少なくとも『平家物語』の時代から語られている万物普遍の法則なので間違いありません。なんか違う…という違和感を大切に、その感覚を信じてハートを活性化して生きることに自信を持っていいのだと、自分に言い聞かせています。

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