私たちは「完璧さ」よりも「誠実さ」を求めている

少し前のニュースで、どこかの自治体のいじめ件数、撲滅100%と公表した、みたいな記事があったと思います。また、自治体関係ですと「待機児童ゼロ」を達成した、と言っている自治体もありましたね。私がいつも思うのは、別にいいかっこしいで「0」とか「100」にしなくてもいいので、本当のところはどうなのか、現状を包み隠さず教えてくれればいいのに、ってことです。私だけじゃなくて、大多数の方がそう思っているのではないでしょうか。

私はとある自治体の保育関係の部署にいましたので、「待機児童」についてはちょっと詳しいのですが、ご存知の通り「待機児童ゼロ」というのは「申し込んだ人全員が入れている」という意味ではないんですよね。国の定めた基準により、【入れなかった人の人数】から、【色んな条件の人の人数】を除外して、待機児童とカウントしています。育休中の方、求職中の方は解釈によっては人数に含まれないことになります(記憶が曖昧ですが)。

「待機児童ゼロ」と公表すれば、確かにその自治体の表向きの実績にはなりそうですが、実際は育休中の方や求職中の方で入所できなかった方が多数いたりするわけで、その自治体なら保育園入れるかも、と思って期待して引っ越しを検討する方もいらっしゃったり、かえって需要を掘り起こしてしまう感もあります。出生数は減っているのに申込み数は増えるという。ハコを増やしても申込みはどんどん増える。「待機児童ゼロ」という、誤解を招くようなことを言って、期待させるからです。結局、自治体自身がいたちごっこを自分で招いているんですよね。それでどんどん自分で首を絞めているんです。本当は入れていなくて困っている人がたくさんいるのだから、あんまり良く見せなければいいのにと思います。

女性の社会進出と子育てについては、自分が最前線で関わっていたこともあり思うところがありすぎるので、こちらもぼちぼち記事に書いていこうと思います。働く女性と子育て問題の解決策については、「こうあればいい」という理想の状況すら描けていない状況なので、書きながら整理していきたいと思ってます。

脱線しましたが、実態に合わない「0」とか「100」とかの完璧性っていうのは、かえって「さすがにそれはうそでしょ」という疑いの目を向けられますし、イメージとしても逆効果だと思うんですよね。他の数字についても、きっといいかっこしいしてるんだろうな、と思っちゃいますし。偽って良く見せようとすることは本当にイメージが悪いです。ありのままの実態を正直に公表した方が、絶対に絶対に好印象なんです。

会社の謝罪会見にしても、芸能人の会見にしても、あとあとまた揚げ足取られたりするんだから、全部正直に言った方がすがすがしくて良いと思うんですよね。だって、人間そんな完璧じゃないですもん。たまにはミスしたり、色欲におぼれたり、しますよ。私は誰にも「完璧さ」は求めません。しかし、「誠実さ」は求めます。人はどんなに心がけても完璧にはなれませんが、誠実になることはいつでもどこでもできるからです。意識ひとつというところです。

人間は完璧じゃないのだから、何か上手くいかないこと、ミスなどあっても、お互いに「許し」あっていきましょうよ。許せない社会は本当にギスギスします。何かを許せないということは、他人も、自分をも責めることにつながってしまうからです。不必要な罪悪感を持ってしまったりするからです。目標達成できなかった、ということを責めるような社会だからこそ、正直に実態を公表できない、ということはあるわけですからね。

つまるところ、見せかけの完璧を求めず、誰もが弱さを正直にさらけ出せる環境こそ、真に成熟した意識を持った社会と言えるのではないでしょうか。

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