「心身の健康」に遠慮はいらない

先日の外の世界のせいにしないと誓えるか?という記事に、ブラック企業の話を例に出して、会社は労働者がいなくなったらソッコーつぶれるんだから、そんなところで働かなければいい、退職する自由はあるという話を書きました。私が人を雇う側だったら、雇っている人にいつ辞められてしまうかわからないので、できるだけ快適な労働環境を整えたいなぁと思うだろうと思います。自分が最も辞めにくいと思われる仕事を辞めた身なので、仕事なんて簡単に辞められる、と思っているのもあるかもしれません。そもそも、「雇うー雇われる」という感覚自体がもはやなくなってくる可能性もありますね。

働いている人が満たされていれば、自然とお客様にも接客態度を良くしようとするだろうし、さらなる価値を創造するためには?、といったことまで考えてくれるようになるはずです。この世の大きな法則の一つに「循環の法則」があります。起点が愛で始まっていれば、愛が循環する、つまりは好循環のスパイラルが始まっていくでしょうね。やっぱりまずは自分が満たされていないと何も始まりません。職場の体制に不満→接客態度悪い→売れない→さらに職場の待遇悪化…負のスパイラルになるのは明らかです。自己犠牲×他人のため=恩着せがましいという記事にも似たようなことを書きました。

雇用主は従業員のESを考えることが大事。では従業員は?というと、やはり自分自身の「心身の健康」を考えることが大事だろうと思います。この世はミクロとマクロの相似形であり、マトリョーシカのように同じ構図が続いていきます。雇用主が従業員を大切にするのであれば、従業員は自分の身体の臓器、組織、細胞、自分の意識を大切にしようということ。私が最近恩師に言われたこと、「仕事なんていくらでも見つかる。自分が健康であれば。」という言葉が胸に響きます。仕事に無理して自分を合わせるのではなく、自分の心身の健康を維持できる仕事をしていく、という考え方の方が自然体で理にかなっているように思います。

私は西洋の化学物質の薬はできれば最終手段で、極力飲みたくないと思っております。そうは言っても仕事だから飲まないといけないんだよ、と言われてしまいそうですが、「心身の健康」ってそこまで後回しにされるものなのかと疑問に思ってしまいます。1日2日休養すれば薬を飲まなくても治るかもしれないのに、下手に身体の均衡を薬で乱すことによりかえって長引くこともしばしばあります。「休むこと」が想定外の制度設計がすべての元凶という記事にも書きましたが、人間はかなりの頻度で体調不良を起こすものなので、それを加味した制度設計にしなければ実態に合わず、何らかのしわ寄せが生じるものと思います。「風邪を引いたくらいで休むな」という洗脳が、製薬会社と手を結んでいるようにも見えますよね。

無理な労働を強いる企業は、本当に本質が見えていないんだなということがよくわかります。無理な労働を強いる→従業員の体調不良→従業員減る・欠勤→現場回らない→売り上げ低下→…負のスパイラル。一度働けなくなってみて思うのは、「心身の健康」以上に大事なものはないってことです。「心身の健康」を維持できるということが、「宇宙シナリオ」に沿った生き方をしているということのサインになります。私たちが3次元で肉体を持って生きているのはなぜか?この「肉体」というのは一体何なのか?やっぱりすべては原因と結果の法則でしょうね。「原因」と「結果」と「カルマ」の話に書いたこと、私たちの「肉体」は意識の結果であるということを腑に落とし、「心身の健康」をバロメータにしながら「宇宙シナリオ」に沿った生き方を体現していきたいと思います。

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