年度末に思う「単年度予算」への疑問

今日は3月31日。本来であれば今日まで公務員として働いているつもりだった日。退職のあいさつをするはずだった日。3月31日は年度の最後ということで、特別な日という感じがします。明日から入社、転職、転勤という方も大勢いらっしゃるでしょうね。

年度を意識するとき「単年度予算」って当たり前のように採用されているけど、これってどうなの?とふと思うことがあります。会社もそうだと思いますけど、役所は特に年度の感覚が強いので、毎年毎年予算状況が同じ。というのは、4月は潤沢に予算があっても3月には予算がなくなるから、同じ依頼があっても対応できないとか、年度をまたいで工事ができないとかそういうことです。ルールの「遊び」がなさすぎて、全く柔軟に対応できない。履行検査は3月31日が絶対期限だから、それを守れなさそうということになると履行できていないのに書類だけ整えてできたことにする、みたいな「ズル」をしようとすることが出てくる。4月は人事異動でバタバタ、その上に窓口も混雑で毎年ひっちゃかめっちゃかで、ストレスマックス。4月でどこもいったん業務が止まってしまい、ある程度前の担当者と話していたことが、異動によりまたしても0からのスタート。書いていて、すごく非効率だしエネルギーの無駄遣いをしているなと感じます。

せめて人事異動と会計年度が少しでもずれていれば怒涛の4月を迎えずに済むのではないかと思うのですが、今さらそうもいかないのでしょうね。このシステムを続ける限り、永遠にこの繰り返しは続くわけで、ずっと年度に縛られ続けるいうことです。複数年度予算にしたところで、期間が長くなりちょっとは緩和するような気がするだけ。「年度予算」という発想そのものもいかがなものなんでしょうね。納税の関係などがあるので、毎年決算は出すのでしょうが、使うお金を時間で区切ってどうするのでしょう?という気がすごくします。予算を積算して積み上げていくシステムについても、不要な予算がなくならない要因の一つではないかと思います。前年度予算をつけてもらったら必死で執行するので、形式上執行=必要だったことになり、次年度もつけてもらえたりしますからね。一回疑問に思うと、なんでこうなんだ、なんか変だ、と思うたちなので芋づる式に疑問が湧いてきてしまいます。

本当はすごくシンプルで、必要な時に必要なお金があって、使える状態であればいいだけの話だと思うんですね。それを年度で区切るから、毎年同じルーティンが起きてしまい、変化のスピードが常に停滞し、いくら時代が変わろうとも役所は何も変わらないということが起こる。これは大きな組織に共通する話ですね。じゃあどうすればいい、ということについては、これはもう組織が大きすぎて変えられないだろうな、というのが結論です。そういうのが嫌だと思ったら組織から離れるしか方法はないです。

フリーや小さな組織であれば年度にしばられることはないし、必要な時に必要なことができます。大きな組織にいると「年度システム」によりできることが結構制限されてしまいますが、そのことが当たり前すぎて、年度があることにより制限されていることがあることにも気づけない場合があります。いかに常識や当たり前に縛られて生きているか。ふと立ち止まって「思考停止」を脱すると、また新たな視点で世の中を見ることができますね。

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