言葉の定義づけにより自分を知る

昨日の「価値」という言葉の中身を掘り下げるという記事に関連して、今日は言葉の定義づけを確認する面白さについて書いてみようと思います。普段何気なく使っている言葉も、その人一人一人によって意味づけや定義づけが違っているもので、ある人は○○という意味で使った言葉なのに、ある人にとっては△△という意味に受け取ったりしてしまうということはよくあることです。もちろん辞書的な意味がどうとか一般的な意味とかそういうものに縛られる必要はなく、あくまでその人がどのようにとらえているかを自覚するのは、自分というものを知る上でもとても有意義だと思っています。

定例の自然医学の講座で一昨年に受けた最初の単元が、この言葉の定義づけのシェアリングでした。「愛」とは?「健康」とは?「病気」とは?などなど、いくつかの言葉のテーマが与えられ、自分なりにこうだと思うものを書いてきてみんなでシェアします。自然「医学」の講座だったので「健康」や「病気」のキーワードが挙がっていましたが、ビジネスの講座なら「お金」とは?でも良いでしょうし、恋愛系なら「結婚」とは?などでも面白いですね。自分一人でやっても面白いのですが、誰かとシェアすることで気づくこともたくさんあるので何人かで意見交換するとより意識が深まると思います。

私も先日、仲の良い友人が結婚したい結婚したいといつも言うので、「結婚」をどんなものと捉えているのかとか、何を求めているのかとか、ちょっと聞いてみました。「結婚」という言葉をどのように定義づけているのか、どんな気持ちが得られるものととらえているのか、どんな生活ができるものと捉えているのか、一人ではなかなか気づけなかったりもします。あらゆるものに対して人それぞれ固有の価値観や捉え方がありますが、それはあまりにもその人にとって当たり前で意識しないものなので、「そういうものでしょ?」という思い込みが発生しやすいものです。結婚してから相手の定義する「結婚」と自分の思う「結婚」が食い違っていたりして、あれ?と思うことはきっとよくあることなのでしょうね。

「健康」についての定義づけも面白いもので、この「健康」をどのような状態と見るかで、その医療従事者やセラピスト、ヒーラーなどの意識もわかるというものです。「健康」を単に病気ではない状態、痛みのない状態と見るのか、さらに進んで、その方のベストな資質を開花させてスピリットを表現する人生を生きている状態、と見るのかによって、どこまでサポートしていこうとするのかという意図が変わってくるわけです。もちろん私は後者のレベルまでサポートすることを意図して、様々な療法を学んできました。通常の医療では前者のレベルまでのサポートで、その先のことは治療・診療の対象外です。「健康」を単に肉体レベル、良くて精神・感情レベルで捉えるか、人生レベル、スピリットのレベルで捉えるかによって、この世界の見え方までもが変わってくるのではないでしょうか。

私たちはどのような意識で生きるかによって人生がまるっきり変わってきます。それは私たちの本質が意識・エネルギーである以上、当たり前といえば当たり前のことです。自分がどんな意識で生きているかというのはなかなか気づきにくいもので、自分がわからないからこそ他人と交流して自分を知りたいと思うわけですし、それはそもそもなぜ私たちがこの分離の三次元の世界に生きているのかという根源的な話にもつながっていきますよね。何気なく使っている言葉について改めて自分の認識を確認し、それを他人とシェアすることで様々な発見があるでしょうし、意識の拡大とともに世界の広がりをも感じることができる可能性もあります。面白いテーマなのですが、なかなか普段の人間関係で話す機会はないかもしれませんね。noteオフ会ではこのようなテーマも取り上げていきたいと思っているので興味のある方のご参加をお待ちしております。

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