「母性喪失社会」と保健室の役割

前々から書きたいと思っていた内容をまとめてみたいと思います。ちょうど1か月くらい前に、『ルポ 保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル』(秋山千佳著)という本を読んでいました。記者の方が学校の保健室のリアルな現状を取材してまとめた本で、読みやすいけれども中身は非常に重く、看過できない内容だったのでご紹介したいと思います。保健室にやってくる子どもたち(中高生)の置かれた状況や、学校における養護教諭の役割(学校内の先生カーストの話)など、あらゆる社会問題に対して問題提起もなされている本でした。

特に印象に残ったのが、最後のまとめの方に書かれていた内容です。ある文章に『「学校の母性」にすがる子どもたち』、こんな小見出しが付けられていて、気になったのでメモしました。保健室にやってくる子は体調不良でやってくることもあるけれど、保健室の先生に悩み相談をしたり話を聞いてもらったりすることが多いようで、保健室はなんでも相談所のような役割を担っているとのこと。誰にも言えない性の相談も多いそうです。私が学生の頃も保健室登校の子は若干名いたように思いますが、今ほど多くはなかったのではないでしょうか。かくいう自分も高校生の頃に体調不良(お腹)で心療内科に行き始めたのですが、辛い時は保健室の先生に話を聞いてもらいに行ったこともありました。そんな自分の経験も思い出しつつ、「母性喪失社会」について思いを馳せていました。

何かあっても親に言い出せない、親に遠慮して言えない子も多いのだと養護教諭は言います。親が忙しそうにしていると十分に話を聞いてもらうこともでためらわれたり、親に「マスクを買って」ということすら言えない子もいるそうです。親に甘えるかのように養護教諭にまとわりつく子もいると言います。私は以前から幼少期の親子(特に母子)を引き離すのは良くない、ということを言ってきています。共働きが当たり前、保育園が当たり前といった社会になるにつれて、幼少期の満たされない思いを引きずったまま大人になる人が増え、その過程で保健室にお世話になる子が増えるのではないかと推測しています。幼少期に受けられなかった母性を、小中高生になってもなお取り戻そうとするような、そんなしわ寄せとして保健室が受け皿になっているのだろうなと感じます。

このままこの風潮が続いて、幼少期に十分に母子の絆が築けないまま成長する子が増えていくと、おそらく学校の保健室がパンクすることになるだろうと思います。心の問題や愛情の問題だけでなく、性の問題も見逃せません。私は以前に軽視されすぎな「家庭科」「保健体育」という記事を書いたことがあります。生きていく上で非常に重要な性の話というのを、今の教育ではまともに教えていないように感じます。セクハラ問題や女性専用車両の議論も話題となっていますが、そういった問題も性教育が間違っている、不十分であることの現れではないかと感じます。

心の問題、性の問題が軽視されているのは、養護教諭の扱いを見ても明らかなように思います。紹介した本にも問題提起がありましたが、養護教諭への研修の機会が少ない、養護教諭が変わると保健室の「場」も変わる(かなり個人の資質・性格による)、養護教諭の立場の相対的な低さなど、主要科目に比べるとあまり重要視されていないのかなと思わざるを得ません。母子の絆が軽薄になるように向かっていく「母性喪失」の社会において、保健室の役割が重要になり、より養護教諭(やスクールカウンセラー)への負担が重くなるのは明らかです。保健室が命綱となっているような子も中にはいると思います。資本主義社会においては「お金が命」かのような錯覚を覚えるものですが、本当に大切なのは生き物の命です。また、保健室に来る子は貧困家庭の子が珍しくなく、DVや酒乱など親に問題がある場合も多いです。「お金が命」である社会では、本当に支援が必要な子には支援がしにくい(お客様になりえない)という構造も垣間見え、資本主義社会・格差社会の構造的欠陥にも改めて気づかされました。

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村上 ハルカ

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