現代2大宗教「お金教」「科学教」とその後

以前から書いているように私は文化人類学的な人文社会領域が大好きで、ヒーリングとか自然療法とかホリスティックな健康のことをメインで学びつつも、やっぱり興味の原点は人文なんだなぁということを実感しています。大学の頃も人文専修でしたしね。世の中で巻き起こるあれこれに飲みこまれすぎず、一歩引いて俯瞰的に観察したり分析したり、というのを自然としてしまいます。何かを盲信したり、極端に信じ込むのがあまり好きではなく、だからこそ何も専門性が身につかない傾向にあります(笑)。しかも、学んだり考えたりしたところで大して仕事につながるような内容でもありません(笑)。それでも文化とか社会とか哲学とか思想とか精神性とかそういった分野が好きすぎて仕方がないのです。

私はスピリチュアルなどの精神世界の分野も好きですし、「宗教」についても興味があります。「宗教」に信者として入信するのではなく、「宗教学」みたいなこととか、「信仰」ってなんだろうとか、その心のメカニズムや教えの精神性みたいなものが気になります。日本では「宗教」に対する偏見が強いので、スピリチュアルとかヒーリングとか言うとすぐ「宗教?」と思われたりすることもありますね。私も含め、人々はどんなこと・どんな態度を「宗教っぽい」と感じるのだろうか、そんなことを考えたりもしています。

私が思うに、現代社会における2大宗教というのは、「お金教」と「科学教」のように思います。以前からお金に関する記事はいくつか書いていますが、さすがは「資本主義」というだけあって、ほぼすべての人が「お金教」信者ですよね。紙や鉱物や数字の羅列に価値があると信じているわけですからね。もう一つは「科学教」です。この信仰も根強いと感じます。目に見えない世界やスピリチュアル的な話、ヒーリングやエネルギー療法を「根拠がない」とか「目に見えないものは信じない」と言って頭ごなしに否定するような人は「科学教」間違いないですね。半信半疑ぐらいならわかるのですが、「全くもってインチキだ!」と決めつけるのは、科学信仰の強い方だと思います。「科学」というのは一種の洗脳ですし、お金で買収されている学者などたくさんいることでしょう。たとえば、コーヒーが健康に良いか悪いかといった研究データはたくさん出てきますが、それも資本主義的市場原理に刺激を与える意味合いがあると感じます。資本主義的に都合の良い情報を「客観的なデータ」として出しているにすぎませんからね。

お金信仰も科学信仰も、西洋的な一神教の原理がベースにあるように感じます。ルネサンスの時代にキリスト教の一神教から「科学」という新たな宗派が勃興したように、今後また新たな宗派が出てくる可能性はありますね。前にも書きましたが、これからは「AI教」がめきめき力をつけてくるかもしれません。人間の判断よりAIの判断を信じよう、難しいことはAIに決めてもらおう、といったことはどんどん起こってくると思います。それでも、大きな流れでは「お金教」にしろ「科学教」にしろ「AI教」にしろ、一神教的に何かを盲信する世界観というのがそろそろ下火に入ってくると思うので、まずはその正体をしっかりと見つめることが大事なのではないでしょうか。「お金」も「科学」も「AI」も適度に使えば素晴らしいものですが、度を過ぎると人間の可能性を押し込め、人々を恐怖に陥れるものにもなると思います。何かに盲信しすぎると本質を見失うと思っていて、そんなこともあって私は色んなところで学び、様々な情報を収集するようにしているんですね。

日本人は特に無宗教の方が多いので、宗教と聞いただけで「!」となってしまう方も多数いらっしゃると思います。それでもその心のメカニズム的なものは誰にでもあって、それが現代では「お金」や「科学」信仰として現れているのではないでしょうか。資本主義から共同創造の時代に向かう今の過渡期においては、「お金」と「科学」の正体を見つめ、洗脳から解かれることが大切だと思います。私自身も日々自分の固定概念を見つめ直し、宇宙の原理を学んでいるところです。枝葉末節にとらわれすぎず、物事を大局的に俯瞰して見る視点をこれからも養っていこうと思いました。

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