離婚の保険としての女性の自立

結婚・出産など人生の大きなライフイベントについて考えるシリーズの続きです。結婚してすぐの新婚の頃はラブラブだったのに、子どもが産まれ、何年、何十年も連れ添っていくうちに、徐々に倦怠期が訪れ、夫婦の会話もなくなり、すれ違いや不満も増え、レスになり…と関係性が変化していくという話は、それが当たり前なのではないかと思うくらい耳にします。私の両親も例外ではなく、一時期本当に離婚するのではないかと思うくらい不仲な時もありました。その当時の自分は本当に不安でいっぱいで、情緒不安定だったことを思い出します。

どのくらいのカップルが離婚に至るのかという詳しいデータはわかりませんが、そんなに珍しいことではない、というのは肌感覚で感じます。同世代の友人レベルで離婚したという人の話は聞きませんが、10年20年先はどうなっているかわかりません。離婚には至っていないけれど経済的に可能なら離婚したいと思っている仮面夫婦も多数いることと思いますし、そういった潜在的な予備軍を加えると本当に夫婦仲が良好でうまくいっているというカップルはどの位なものなのか、見当もつきません。おそらく離婚を阻むネックとなるのは、子どもと経済的理由だと思います。「子はかすがい」とはよく言ったもので、私の両親が離婚しなかったのも、私がいたからということもあったかもしれません。

この社会が男性社会になっているのは、男性がお金を稼ぐことで女性を封じ込むことができる、つまりは、男性にとって都合の良い家庭を築くことができるからというのはあると思います。女性が経済的に自立することができなければ、家庭内で男性が優位に立つことができ、何かあったときに女性から離婚を切り出すことが難しくなります。「子はかすがい」であると同時に、男性側はお金で女性を繋ぎとめているとも言えると思います。一般的に「稼ぐ」ということに非常に興味があるのは男性の方で、それは「経済力=イイ女をゲットできる」という構造があるからですよね。富、地位、名声を欲しがるのは、意識化されているかどうかは別として、つまりイイ女が欲しい(=ヤりたい)ということでもあると思います。

昨今の女性が「女性の社会進出」の名のもとに、社会で働くことが大事、働きながら子育てするのが素晴らしい、男性と対等に働くのが良い…といった思想を持つようになり、経済的に力を持つようになってきているのは、そういった男性社会への(これも潜在的な)反発や抵抗によるものなのかもしれません。夫婦の愛が冷めて、子どもを一人で育てなければならないということになったとしても大丈夫なように、仕事を辞めず、産休育休をとってまた職場に復帰しようとする、ということも心の奥深くでの理由としてはあるのではないかと思います。もちろん、旦那の給料だけではやっていけないとか、仕事での自己実現、といった理由もあると思いますがね。

結局のところ、多くの夫婦を繋ぎとめているのは、「子ども」と「経済力」というのが世の実態なのだと思います。経済力でものを言い、女性に力を与えない男性社会は本当にもうこりごりで、さっさと終わってほしいと思っていますが(笑)、男性社会に女性を無理やり適応させる形で女性に経済力を持たせる社会というのもやはり本来的ではないなと感じています。その「無理」というしわよせがどこに行くかというと、やはり子ども・子育てにいってしまっていて、それが昨今の待機児童問題につながっていくわけですよね。離婚してシングルマザーで子育てをするというのは、この社会ではかなりハードなことで、もし、手当てが十分にあり、シングルマザーになっても大丈夫、という安心感のある社会であれば、無理に働く人も減り、待機児童問題も解決するかもしれません。あらゆる表面の問題は最終的な結果として起きているものであって、潜在的な理由、思想、意識を探らないと根本的な解決策が見えないことがあるなと感じます。

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