通販&物流問題に見る「身体性」の壁

昨日くらいからまた頭がぼーっとして思考が働かない時期を迎えております(笑)。ぼーっとしつつもヤフーニュースなどを見ていると、物流大手の会社がアマゾンの影響で仕事が殺到しすぎてしまい、荷受けの抑制を検討しているというニュースが掲載されていました。遅かれ早かれそうなるだろうよ…と思っていたことが現実化してきましたね。これだけ通販が盛んになってくると、問題となってくるのは物流で、あらゆる経済を支えている物流がストップすると日本全体が立ち行かなくなる危険性もあるくらい、物流依存になっていると感じます。これも私がいつも言っている自給自足的、鎖国的考え方と大きく関係があると思いますね。

身近なお店で買えるものまで通販を使ってしまったりすることは私もあるので、生活を見直さないとな、と思っていたところです。近くの個人商店からコンビニ、スーパーなどの大規模店で買い物をするようになり、個人商店が店じまい。そして、今やコンビニ・スーパーで買えるものまで通販サイトで買い物するような時代になってきています。今まで私たちがお店に足を運んで買ったものを持って帰ってきたその「身体性」を肩代わりしてくれているのが物流の方々。数十年前に比べて核家族や単身世帯数が増加し、一軒一軒に運ばなければならないことが増えたという変化もあると思います。これも「個」の時代の象徴的な「歪み」であり、起きていることは全て「結果」なのだなと感じます。

私たちの日常や地に足の着いた現実生活を支えているのは、「身体性」に関わる分野が多いと思います。なかなか機械に取って代わることができないことですね。例えば、いま大きな問題となっている福祉の人手問題。介護に携わる人や保育士は大変な仕事なのに賃金が安く、いつでも人手不足です。飲食店や上記の物流の仕事も人手不足と聞きます。一方、AIなどが取って代わりやすいのは高度知的分野で、今まで高給取りだった職業ほど、AIに代替されやすいと言われていますね。保育の現場などを見ていても、本当にきめ細やかな注意が必要な仕事だなと感じますし、絶対に機械には任せられない分野だと感じます。私が現場のことを知ったのは、仕事で保育園の立ち入り調査などに行っていたからで、そうでなければあの大変さを知ることはなかったと思います。医療分野の給料と同水準くらいにしなければ割に合わない仕事だと思います、本当に。

また話が飛びますが、私は生まれてこのかたほぼずっと同じエリアから出たことがなく、今でも小・中・高の同級生とはよく会いますし、メインの交友関係は学生時代の友人たちです。いくらインターネットが発達したとはいえ、「身体的」に身近にいる人とのつながりはやはり強固で、SNSで「いいね」とかされなくても、誕生日のメッセージのやり取りなどがなくても、ずーっと仲の良い友人たちはやっぱり仲が良いし、いつも安心感があるんですよね。デジタルなネット上の付き合いはほとんどないのですが、心の半径3m以内にいて、物理的にも近くに住んでいて会おうと思えばすぐに会える友人たちの存在は私の支えになっています。遠距離恋愛がなかなか続かないのも「身体性」に関係があると思います。私たちの本質はネット上の仮想空間にあるのではないんですよね。やはり「身体的」に顔を合わせて同じ時空間を共有することって、人間関係の基本ですし、いくらネットが発達しようとその重要性に変わりはないのだなと痛感します。

共同創造のコミュニティを考える上でも、やはり物理的な距離感や「身体性」というのは重要なキーワードになってくるだろうなと感じます。ネット上だけで仕事のやり取りとかリモートワークとかネット会議とか、テクノロジーの進歩によって声や文字、動画のやりとりは簡単にできるようになりました。AIの発達で高度知的分野は機械にやってもらえるようになりました。ECサイトの興隆でお店に行かずにモノを買うのがとても便利で簡単になりました。それでも絶対に越えられないのが「身体性」の壁であり、そのひずみがどんどんと現実化しているのがこの現代社会なのだと感じます。「性」の話題でも書きましたが、これからますます「身体性」や「人間とは何か?」ということを社会全体で見つめ直す必要性が高まってくると思います。そのきっかけの一つが今回の物流問題だったのではないでしょうか。

note過去記事一覧はこちら

ホリスティックな健康をサポートするGreen Cosmoのページはこちら

「note見た」で友達申請→村上遥のFacebook

Twitter再開しました!→Twitter

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?