転落人生に見る「幸せとは何なのか?」
ここ数週間くらいに立て続けに耳にした海外スポーツ選手、(元・現)アイドルやイケメン俳優の不祥事事件。富も地位も名声も黄色い声援も手に入れた人々にもかかわらず、お酒や大麻などの誘惑には勝てず、まっとうな道を外れてしまうことはよくありますよね。こういった事件が相次ぐと「何が幸せか、わからんね」と思ってしまいます。私たち一般庶民の多くが求めてしまう「富・地位・名声・黄色い声援(人気)」などをいくら手にしても、幸せにはなれないんだろうな、と思わせられる一連の出来事でした。
今回の事件はお酒や大麻などの中毒性のある嗜好品に関するものが多かったようですが、本当に幸せで心が満たされている人はそういったものを大量に摂取することはないと思います。荒んだ心をごまかすために常用してしまうのでしょう。たくさんの人に支持されて、女の子にキャーキャー言われて、顔もかっこよくて、仕事のオファーもあって…それでも満たされない心の闇。スポーツ選手や芸能人などは相当なプレッシャーに常にさらされているでしょうし、ストレスが本当に凄まじいのだと思います。プライベートもないし、週刊誌に追われるし、はめようとする輩もいるし、人気者稼業は相当大変なんだろうな、と想像しただけでなんとなくわかります。
私たちは自分に持っていないものを持っている人を見ると、「○○があれば幸せになれるんだろうなぁ」と思ってしまったりするものです。この思考パターンは多くの人が持っているだろうと思います。私も以前は「顔がかわいければ、スタイルが良ければ…」などとよく思っていたものでした。「結婚すれば」とか「夢が叶えば」と言い換えても同じかと思います。結局、「○○があれば、○○すれば幸せになれる」というパターンを持っている限りは幸せにはなれず、その思考パターンから逃れることでしか幸せにはなれないのではないかと思っています。それは私が常日頃書いていることで、多くの方が他人と比べて心の葛藤に陥る大きな要因を占めていることだと思います。
一度人気者になったり、富・地位・名声を手にすると、それを維持し、守らなければならないという苦しみが生じますよね。やる気があってのぼり調子の時は良いのですが、ある程度の目標を達成してしまうと、その先のモチベーションの維持が難しくなってしまうということもよくあることのようです。今はモノが売れない時代でもあるので、売上を伸ばすとか、大人気になるというのは、目標としてはイマイチだろうと思います。ある時人気が絶頂になってもその人気を保ち続けられるわけではなく、もっと若い人、もっと才能がある人にその座を譲らなければならない時が必ず来ます。最初は人気があっても徐々に売上が下がったり、動員が減ってしまったりすると、おそらくここでも苦しみに直面することだろうと思います。人数や売上などの可視化できる目標はわかりやすいですが、もっと大事なのは精神面・意識面での影響だというのが私の考えです(数値化できない「意識」の変化こそ最重要の記事参照)。
以前に「成功を目指さない」という幸せという記事を書いたことがありました。私はおそらく、今回の一連の事件で話題になった彼らよりも、心が平安で幸せでいられる時間は長く、その感覚も深いのではないかなと感じています。私には「富・地位・名声・人気」どれもありませんが、心は落ち着いていて「心身ともに健康で普通に暮らせているって本当にありがたいなー」と思って生きています。「○○があれば幸せになれる」というのはいつも言っている通り壮大な洗脳で(笑)、人々を愛や幸福から遠ざける魔の思想のように思います。それは、多くの人が欲しがる「富・地位・名声・人気」を得た人の不祥事事件からも明らかではないでしょうか。外の世界の条件付けを重視し、渇望する生き方は、そろそろ見直しの時期に入っているのではないかなと思います。
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