一番失うことを恐れているものとは?

先日の自然医学の講座で「失うことを恐れているもの」を内観するワークがありました。私は「命、お金、愛、自信、家族、仲間、自由、生きる気力、情熱、尊厳、希望、(宇宙や本当の自分と)つながっている感覚」と書きました。そして、その中でも最も恐れているものは何か?ということを考えてみようというワークです。

講座の中で、失うのを恐れているものは一般的に大きく5つに大別されるという話がありました。ネタバレになるのですべては書きませんが、そのうちの一つに「Identity or meaning of life」というものがあり、つまりは自分らしさ、アイデンティティや生きる意味ということです。私は今はこの要素が一番失うことを恐れているもののように思えました。自分の挙げた中の言葉で言うなら「尊厳」ですね。「自信、自由、生きる気力、情熱、希望、つながっている感覚」などもそれに近いかもしれません。「自分らしさ」「自分が自分であること」を失うことに、非常に恐れを抱いているということです。

そして、もし「尊厳」を失ったらどう感じるか?というワークもしました。私は泣いて怒って悔しんで絶望を感じるだろうと書きました。心を閉ざして殻に閉じこもってしまうと思います。個人として尊重されない、生きている価値がないと思わされる体験、自分には価値がないという感覚。尊厳を失うというのは相当な精神的ダメージです。しかしそこで尊厳を奪った相手に対して恨みつらみ、怒りを感じたところで何の解決にもならず、結局は内観して本来の自信や自己肯定感を取り戻すことしか根本的な解決にはならないんですよね。すべては意識。私の思い込みの世界を生きているだけなのですから。

「生活のために働く」ことで寿命を縮めているという皮肉にも似たようなことを書きましたが、現代の働き方においては、その重要な部分が軽視されているように思えてなりません。個性を抹殺するような働き方。意志を持たない組織のコマであることを求められる。生きる意味、情熱、希望が持てない生き方。そんな生き方をしているうちに、肉体レベルでも身体が蝕まれて、病気になってしまう。現代社会が総病み社会になってしまっているのは、その辺りが原因としてあるのではないかと思います。

ここ数週間、ひたすら内観を繰り返してみて、自分と向き合うことの苦しみも喜びも、両方感じました。多くの方は自分と向き合うことを恐れているのだと思います。だからこそ、「お金のため」と自分に言い聞かせて、納得させて、やりたくない仕事を惰性で続けてしまうんですね。結局、一番怖いのは、仕事を辞めて食べていけなくなることではなく、「自分と向き合うこと」なのではないでしょうか。心の奥底に眠っている自己否定の感覚、自分は無価値であるという感覚、無能であるという感覚。そういうものに直面したくないのです。目をそらしていた方が、直接的なダメージは少ないですから。

以前働いていた時は、おそらく「尊厳」を失う感覚に近い体験をしていたのだと思います。今までの人生で負ってきたたくさんの潜在意識レベルでのキズ、ダメージを、内観することで必死に癒していた感じです。自分と向き合うのは確かに怖いこと、しかし、それ以上に得るものは大きいです。いつまでも自分の人生から目をそらしているつもりですか?自分には何もできない、価値はないと諦めて能力を閉じ込めているつもりですか?そんな次のステップへのお試しが次々に舞い降りてきた、ここ数週間でございました。

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