複数の師を持つことの大切さ

私には「師」と呼べる人がたくさんいます。いろんなことに興味があることもあり、スクールに行くにしても、治療をしてもらうにしても、一人の方に頼るとか、依存するということは今までなかったかなと思います。これが私だけの考えなのかはわかりませんが、複数の方の考えを聞いたり、複数の方に教わった方が、全体像がつかめるというか、バランスが取れるのではないかと思うのですよね。また、いろんな考えがあることを知ることで、自分自身の価値観も明確になっていくような気がします。

一人だけとか何か一つの方法だけを信じる、というのは、それこそ宗教っぽいですし、支配・依存関係の温床になったり、視野が極端に狭くなってしまう気がします。「Aかそれ以外」みたいな発想だったり、「A以外は敵」みたいな不均衡な考え方のもとになりますし、世の中において絶対というものはないわけだから、他者の考えや価値観を否定するような方向性は違うかなと思うんですよね。

たとえば、食事療法なんかが良い例かなと思います。「断糖肉食」「マクロビ」「ベジタリアン」など多種多様な食事法がこの世には存在しますが、万人にとって良いものというのは絶対にないと思いますし、あんまり何かに偏るのはバランスが悪いんじゃないかな、というのが個人的な意見です。その方が好きで気に入ってその方法を選択する分には良いと思いますが、「Aが絶対だ」みたいな考えはちょっと相容れないなと思うんですよね。

一人の方に師事してじっくり学ぶ、というのもすごく貴重な経験ですし、そうしたいと思える師に出会えたことが素晴らしいと思います。あなたの「自立・自律」を促す師を選べの記事にも書いたのですが、師が弟子を依存させるのではなく、「自立・自律」を促す方ならそれでも良いと思うのですが、とにかく「一人の絶対的な師」という存在は、よほど自分を強く持たなければ、依存や盲信に陥りやすいと思うんですね。「これは●●さんが良いと言ったから素晴らしいに違いない!」みたいなことですね。

私は幸いにして、興味のあるさまざまな分野で「この方は素晴らしいな!尊敬できる!」と思う方に出会うことができ、それぞれの方の背中を見ていろんなことを学ぶことができました。やっぱり、他人は自分の鏡なので、たくさんの方から学ぶことにより、自分自身を知るというか、自分自身が明確になっていくということは、往々にしてあることなんですよね。複数の師を持つということは、自分のいろんな面を知るということでもあるわけです。それは、職場の人や友人関係でもある程度そうなのですが、「師」というのは、自ら選択してその方から能動的に学ぼうとする姿勢が根本にあるわけなので、より自分の意志が反映されていると思うんです。より深く「ルイトモ」関係、つまり、自分自身を投影した存在なんですよね。

そういう意味では「何を習うか」よりも「誰に習うか」が重要というのは本当で、それはつまり結局のところ「ビジョン」や「意識」に人は集まっているの記事にも書いた通り、すべては「ビジョン」や「意識」である、ということと同じことだと思います。その方の意識が変われば、師弟関係もおのずと変化していくわけです。

最初から世の中のことをわかりきっている人や、自分の軸をしっかりを持っている人というのはそういないはずなので、まずは複数の師を持ち、自分自身を知る、明確にしていくということが重要なのではないかと思っています。それは四角い氷から、自分という彫刻を掘っていくような作業に似ている気がします。そうやって初めて、師匠のコピーではなくその方自身の独創性、オリジナリティを発揮し、この広大な宇宙にその方自身の輝く魂を表現していくことができるのではないかと思っています。

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