異常な眠気は転機のサイン?

先日「こうじゃなきゃダメ」と思わなくなったの記事にも書きましたが、ここ何日か異常に眠いという日々が続いており、常時いつでも眠れるzzという状態でした。寝不足なわけではないですし、毎日疲れるようなことをしているというわけでもないのですが、思考が働かず、常にぼーっとしていて、瞑想状態みたいな感じです。体調は良く、リラックスしていて、食欲もあります。ただひたすら眠いという感じです。きっと読者の方の中にも異常な眠気に襲われている方はいらっしゃるのではないでしょうか(眠い目をこすって読んでいただいてありがとうございます)。

日常生活を送る上であまりにも眠すぎて困るので、コーヒーを飲んだりもするのですが、それでも全然目が冴えないですし、ぽやぽや状態は続いています。外に出て何かをしていれば良いものの、家にいるとついベッドにごろんとしてしまい、気づいたら夕方!みたいなことになります。今はそれができる環境にあるので非常にありがたいですけどね。

この眠気はさすがに何かあるだろうと思って、お得意のスピ系の意味探し検索をしてみたところ、異常な眠気は人生の転機の前触れである可能性が高いという情報を得ました。意識の変容の前や最中は眠くなるというのは体感的に知っていたことですし、今までも異常に眠いことは何度かあったのでおかしなことではないとはわかっていたのですが、人生の転機という発想まではなかったのでそうかぁ、と思いながら読んでいました。人生の転機かぁ、そうだと良いんですがね。

なんというか、今は何事に対してもガツガツする感覚がなくて、高い目標に向かって頑張ろう!とか、何が何でも○○になるぞ!みたいな気概もなく、あたたかい日差しを浴びながら縁側でお茶を飲むおばあちゃんみたいなまったりした感覚があります(笑)。のんびりまったり…無理せず競わず楽しく過ごせば良いじゃない、という。世俗的な価値感を一歩引いて俯瞰して見ると、なんかくだらないマネーゲームやってるな~と思ってしまう。お金お金!競争競争!というところから少し距離を置いて、本質的なものだけを取り入れ、楽しみたい、みたいな感覚はありますね。

「本質」というところで言うと、「私が本当に望んでいることはなんだろう?本当に意図していることはなんだろう?」ということもいったんリセットされてきた感覚はあります。バリバリ働いてお金を稼ぐことが私の望みなのだろうか?収入はそれほど多くなくても、自由な時間を持てることの方が重要なのだろうか?結局のところ、どうなるのが一番の望みなの?ということを0から見つめ直している感じはします。ついつい他人に惑わされて、「こういう生き方が幸せだ」とか「お金をたくさん稼ぐのが良い」とか「いやいや、お金にとらわれないのが良い」とかいろんな価値観に揉まれて自分を見失うことがあります。自分にとっての幸せは自分にしかわからないものなので、いかに自分自身のセンサーを研ぎ澄ますかということは非常に大切ですね。

頭が働かなくなってぽやぽやしているからこそ、「本当の望みって何だろう?」と見つめ直すきっかけになったのかなと思いますし、頭であれこれ考えないので不安とか恐れみたいなものもあまりなくなってきました。やっぱり不安や恐れというのはエゴが生み出していて、考えれば考えるほど不安になるというのは感じますね。不安というのは未来に意識が向いているということであり、「今この瞬間」を生きられていないということでもありますからね。頭は未来への計画を立てようとするものですが、(私だけかもしれませんが)その計画通りに行った試しがありません(笑)。だからもう考えても無駄なのだなと思って、降伏=今に集中するようになりました。大いなる宇宙の流れは私のちっぽけな頭で考える計画を超えたレベルの出来事を起こしてくれるようです。過去のパターンに取りつかれたり、未来への不安が湧き起こったりと、思考・エゴは私たちを「今ここ」から連れ去ってしまいます。こうして強制的に思考をストップさせることで更なる意識の変容を促されているのなら、異常な眠気も大歓迎!と捉えてもいいのかもしれませんね。

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