続けた先に何があるかを楽しみに

昨日の、何年くらいのスパンでものを見ているか?という記事に、まずは10年という単位でものごとをとらえてみるという話を書きました。これは、10年後にどうなっていたいとか、目標設定をしてそれに向かって10年やり続けるという意味ではなく、ただやり続けてみるということを言っています。目標設定については、過去に目標設定なんて本当に必要?という記事を書いたことがあり、多くの場合は目標に向かって努力することがよしとされ、否定されることはあまりないけれども、本当にそれが本質的に良いことなのだろうか?と考えていました。

人は誰しも幸せになりたいと思っています。「そのためには○○が必要だ」「○○を叶えたい」とか自分の頭で考えた願望、欲望が満たされれば幸せになると思っている場合が多いです。このことはスピ系の教えなどでもよく見かける内容だと思います。外の世界の条件付けで幸せになれると思っている限りは永遠に幸せにはなれないというあれですね。私もずいぶんとこういった思想を持っていたように思いますが、今はだいぶその洗脳から解けてきました。何かを得たらとか何かを成し遂げたら幸せになれると思うのではなく、何も得なくても何も成し遂げられなくても幸せでいられるような考え方に転換した方が良いんだなと気づきました。

たまに友人に「お金とか将来の心配とかないの?」と言われることがあるのですが、そのあたりはなぜか楽観的で(笑)、目の前のやりたいと思うことを続けていればそのうち何か見えてくるでしょう…とあんまり心配していないんですよね。前にも書いたと思いますが、定年まで絶対安泰であろう公務員として働いていた時の方が不安感が大きかったです。あの頃は本当に将来が見えなかったというか、10年後まで自分が働くことを想像しただけで「無理~」という感じだったので、精神的な苦しみが強かったです。今は将来の保障は何もないにもかかわらず心穏やかな日々を過ごせているので「なんだかなぁ」と思っています。

目標はないと言いましたが、常々書いているような壮大な思いはもちろん持っています。大多数の庶民が豊かに暮らせる社会、地球や自然と調和的に暮らせる社会になると良いなぁと、そしてそのために自分ができることをしていきたいなぁと本気で思っています。しかし現段階では具体的に何をしていくことがベストなのかというのがまだよくわかりません。わからないと言いながら書いて(やって)いるnoteやブログやオフ会が実は何かに繋がっていくのかもしれません。そればっかりは続けていくしかないなぁと思っているところです。「10年後までにサロンをオープンする!」とか「本を出版する!」みたいな具体的な目標はまったくなく、続けた結果、途中で気が変わってブログをやめるとか子育てに専念するとかそういったことも起こりうるかもしれませんが、それはそれで良いと思っています。結果は何でもいいやという感じです。

「成功を目指さない」という幸せという記事にも書きましたが、何かを目指さないで生きる、目の前のやりたいことにただ取り組む、という生き方って、世間の思想と逆行している感じもするんですが、気持ち的にはかなり生きやすいです。この世の中が精神的に荒んでいる大きな原因は、やはりそこにあるのかなと思っています。何かを目指している限りは心の平安は得られず、常に緊張状態が続いていく気がします。実績・業績を残すことが良しとされ、他人に評価される社会において、結果に執着せずただやり続けてみる、というのはなかなか難しいことなのかもしれません。人それぞれお考えがあるので誰しもに勧めるわけではありませんが、常に心穏やかでいたいとお感じの方にはお勧めの生き方だと思います。

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