日本の「土地」と「言葉」の特殊性

資本主義と共同創造の時代の狭間に生きている私たち。大いなる宇宙の長い長い歴史から見た「この時代」をとらえることも大事ですし、また、ここ「日本」に生まれた(外国人の方でもここ日本にいるという)ことの意味を考えてみるのもとても有意義なことだと思っています。実際、私たちは日本に生まれながらも、日本のことをよくわかっていないのではないでしょうか。この「日本」にももちろん多次元的な意味や理解があり、どこまで掘り下げてどのような視点でとらえるかによっても、見える部分は変わってくるように思います。

日本の教育は本当にダメダメで、特に歴史というのはかなり捻じ曲げられて伝えられています。その最たるものが縄文時代についての教育だと思っていて、歴史の教科書においても取り上げられることはほとんどなく、狩猟採集などの原始的な生活をしていた、などと伝えられています。私も以前まではそう思っていたのですが、昨年縄文時代の勉強を少ししていた時に、その理解は大きな誤解だったということがわかりました。ちょっと考えてみてください。縄文時代は1万年以上続いたと言われている時代です。「西暦」が始まってから今までの2017年間の5倍くらいの長さがあるんです。それを「狩猟採集の原始的な時代でした」と一行で終わらせているのが今の日本の教育なのですね。「古すぎて資料などがないから教えないだけだろう」と言われるかもしれませんが、おそらく意図的に教えられていないものと思われます。もちろんこれも支配層の策略です。

色々調べていくうちに、この「縄文時代」というのがこれからの資本主義から共同創造に向かう時代の大きなキーワードになってくるだろうということがわかってきました。「縄文」について学ぶことで、この「日本」の特殊性というのは、「土地」のエネルギー、そして、「言葉」のエネルギーにあるのだ、ということを深く腑に落とすことができたんですね。土地については、太古のムー(レムリア)大陸の文明の話と関係があります。愛と調和のエネルギーに満ちたムー(レムリア)大陸が太平洋に沈んだ際、そのはしっきれのような形で日本が残ったそうです。ざっくりと言えば、縄文時代はその愛と調和のエネルギーが残っていた時代だったようで、「縄文文明」という説があるほどに高い文明を誇っていた時代だったとも言われています。

「言葉」についても、縄文時代に使われていたとされる「ヲシテ文字」について学んだ際に、その深遠な叡智に触れていたく感動しました。例えば3月3日と言えば「ひなまつり」ですが、その文化は縄文時代からあったらしい、ということも学びました。「言葉」と言っても、漢字は大陸から伝来してきたものなのでエネルギーがちょっと違います。大事なのは「音」であり、日本人の話す言葉のベースが縄文時代から脈々と受け継がれてきたものであることも、「日本」の特殊性の一つであると言えます。

日本は国際化が進んでも、相変わらずほとんど単一民族国家と言える状態を保っています。それは島国であることと言葉の壁によるものが大きいと思います。日本がもし仮に移民受け入れなどをするとしても、「朱に交われば赤くなる」といった感じで、日本の土地と言葉のエネルギーが強大なので、突如治安が悪くなったり暴動が起きるといったことはないと思っています。言語と意識というのは密接な関係があり、「言葉」は「光透波(ことば)」とも呼ばれることもあるくらいです。数ある日本語のなかでもとりわけ大事だなと思うのは「やまとことば」です。古来から脈々と受け継がれた「言葉」の叡智を深く学んでいきたいなと思う今日この頃です。

やはり1,500字程度のエッセイの限界で、全く書ききれている感がないのでこのこともオフ会などで口で話した方が伝わるかと思います(笑)。なんかここ最近、「日本の歴史や伝統を見直すべし!」というインスピレーションを感じているのですよね。「この時代」の「この日本」に生まれたということの意味を知ることは、今後の世界を生きる方向性を明確にする上でも大いに役立つことと思います。資本主義から共同創造の時代へ、そのカギを握るのはここ日本だと言われていますからね(日本人ではなく「日本」)。世界を見る前にまず「日本」について、深く掘り下げ見つめ直してみることも大切だなと改めて思いました。

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