一番意識している読者は「自分」

こうして毎日noteを更新し続けて早いもので半年が経ち、よくもまぁ毎日書き続けたものだと自分でも感心します。noteに書いたことをあとで振り返って読んだりすることはほとんどなく、どこに何を書いたかはあんまり覚えていません。書き終わったらその日のやることが終わる、逆に終わらないうちはいつまでもnoteのネタどうしよ、と思うような日々です。今日は私が毎日書き続けるモチベーションや書こうと思う内容について少し掘り下げて考えてみようと思います。

まずは、「毎日書こうと決めたから」というのが一番のモチベーション。とりあえず決めたことは必ず守って続けてみようということ。いつまで続けるかわかりませんし、突然やめるかもしれませんが、最近は習慣化してきたのでそこまで負担でもありません。継続は力なりとは言いますが、まさに今、その継続力を試されている感じです。もう一つのモチベーションは、「今」この瞬間の言葉を記録しておきたいということ。もう一つのサイトGreen Cosmoにもブログを書いていますが、そちらは自然療法系のコンテンツを積み上げるというか、読み物記事を書いている感覚です。他の本や媒体も参考にして書いています。一方こちらのnoteは毎日感じたこと、思ったこと、疑問に思ったことなど、基本は何も参照せず、自分の好きなように綴っています。完全なるオリジナルコラム&エッセイです。個人的にnoteの方が書くのが楽です。「今」この瞬間に感じたことというのは、まさに「今」しか書けない言葉。昔を振り返っても、それを回顧する「今」の感覚しか書けません。「今」発せられる言葉こそ、「生きた言葉」なのだなぁと感じます。

書く内容ですが、読んでくださっている方に向かって書いているようで、一番は自分に向けて書いているなぁと最近気づきました。頭ではそう思うけれど、肚の底で納得していないから、自分に言い聞かせたくて何度も何度も同じことを書いているようなイメージ。自分の中で当たり前になっていることは、何度も言う必要はありません。「ご飯を食べたら歯磨きをしましょう」「使ったものは片付けましょう」と言ったことを何度も書く人はいません。頭でわかってはいるけど、なかなか確信できなかったり、腑に落とせないことを何度も書く。自分の中で当たり前の価値観になってきたことは、書かなくなってきます。それは過去の記事を振り返っても思うことがあります。

最近は明らかに資本主義やピラミッド社会の記事が減ったように自分では思います。公務員時代に感じていた疑問や不満なども、ある程度書き尽くしたのかもしれません。まだ、何かのきっかけに思い出したり書きたくなることはあるでしょうが、今の生活や感覚が当時の自分とはかけ離れたものになってきていて、リアルに思い出せなくなってしまっているということはあります。周りにピラミッド社会で疲弊している人がほぼいないということも記事が減った要因の一つかもしれません。意識があまりそこにフォーカスしなくなりました。

pV数についても、以前はかなり一喜一憂していて、減ってくると「なんか変なこと書いたかな?」と思ったりしたものですが、今はわかってくれる人だけ読んでくれれば良いやと思うようになり、以前より気にならなくなりました。やはり自分もなんだかんだいって「大衆に受ける=望ましいこと」と思っていたことに気づきました。大衆に受けることを狙うのなら、お金・セックス・ゴシップ・炎上系などのネタを書けばpV数自体は上がると思うのですが、私がやりたいのはそこじゃないですからね。私の場合は、他人に受けることを目的に書いているわけじゃないんだなぁと改めて思いました(そりゃたくさんの方に読んでもらったら嬉しいですけどね)。

よくブログ論などで「画面の向こうにいる誰かを意識して書きましょう」と言われることがありますが、私の場合、一番意識している読者は私です(笑)。もやもやっと思っていたことをこうして言語化することで気づくことがあるし、書きながら涙することも何度かありました。自分を励ますために書いてきたこのnoteを読むことにより、読者の方の励ましや気づきを後押しできれば、私にとってはそれがこの上ない喜びです。

note過去記事一覧はこちら

ホリスティックな健康をサポートするGreen Cosmoのページはこちら

「note見た」で友達申請→村上遥のFacebook

Twitter再開しました!→Twitter

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?