「拡大・成長」モデル、終焉の兆し

前からちょっと書きたいと思っていたことを書きます。社会を見渡してみても、「拡大・成長」モデルってもう終わるんだろうな、ということをひしひしと感じます。以前に「薄利多売ビジネス」の限界感「24時間、365日営業」の限界感の記事にも書きましたが、ここまで日本の労働問題が顕在化してくると、社会の構造、働き方の抜本的な見直しが必要なのは明らかです。経済系のニュースなどを素人目で見ても、ずっと拡大・成長するなんて無理でしょ、と当たり前に思いますし、その辺りの意識改革がまずは必要なのではないかと感じます。

正直私は公務員としてしか働いたことがないので、いわゆるビジネス的な視点みたいなものを求められたことも、追求したこともないのですが、普通の会社だと、やっぱり今でも「拡大・成長」モデルを大前提に事業を進めているところが大半ですよね。インフラが整備され、家電は常備され、物質面で何も不自由のない現代において、高度経済成長期のような右肩上がりなんて時代錯誤もいいところですし、社会背景、前提が変化しているのにもかかわらず相変わらず年功序列制度を採用する大企業に入れば一生安泰、なんて絶対にないと思います。「拡大・成長」と聞いても、今の私には全然ピンとこないですし、地球にも人にも負荷をかけるだけじゃん…と冷静な目で見てしまいます。あえて壊れやすい家電、切れやすい電球、なくなりやすいインク、切れやすい電池、2年縛りのスマホ…などを生産し、買わせる。大量生産、大量消費のビジネスモデルにほとほと嫌気がさしている人が大半なのではないでしょうか。

「拡大・成長」を求めるのは一見いいことのように思えるのですが、結果を必ず「数値」で見ようとしますし、「数」や「売上」がその指標として使われることが多いですよね。しかし、「数」や「売上」にとらわれていると必ず本質を見失ってしまいます。その点については公務員時代にも実体験として強く感じていたことです。「数」や「売上」のために何かをしようとすると、何が何でもその目標を達成するために、不正に走ったり、従業員が疲弊してしまうだけという悪循環に陥ります。「数」って本当は何の本質でもないんですよね。「数」が増えることでなんとなく安心したいだけだったり、お偉いさんに目に見える形で報告できるだけだったりという、実に内部的自己満足でしかないわけですね。

じゃあ何を指標に、ベースにしたら良いのかというと、それは「価値」や「本質」、「信頼」だと思っています。数値目標のために、詐欺に近い金融商品を情弱な高齢者に売る…現状、そんなようなことを割り切ってできる人しか生き残れない会社もあると思います。人はやっぱり、本質的に相手のためになると思えるものを売りたいし、勧めたいという気持ちはあるし、気持ちと行動が一致していないことってものすっごくストレスです。それに耐えられなくてうつ病になったりするのですからね。本当に価値のあるもの、質の良いもの、信頼できるもの…すべての人、会社に必要なのは真摯にそれを追い求めることだけだと思います。それはすべて「目に見えない」ものです。でも、それこそが一番大切なことなのです。

ここ数十年、数百年の現代社会は、物質主義、資本主義、目に見えるものだけにとらわれすぎて、おかしな方向に振り切れすぎてしまいました。いま、ここでようやく、持ちこたえていた地球も労働奴隷も我慢の限界というところに来ています。本当に大事なのは、目に見えない、数字では測れない「価値」「本質」「信頼」なのですからね。今このnoteを読まれている方で、今やっている仕事はお客様のためにならないとか、本質的に相手の役に立つことがしたいと思われている方がいらっしゃれば、是非そのピュアなハートの本心を大切にされて欲しいと思います。心身を病むのが先か、会社が倒れるのが先か…決断はどうぞお早目に。

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