当事者意識の欠如が生むなげやり感

昨日、28歳が新卒一括採用について思うことという久しぶりの社会派記事を書いてみて、じゃあなんでこんなに問題がある就活制度なのに、いっこうに変わっていかないのだろう?(それくらい今回のヤフーは英断)と考えてみたのですが、大きな組織ほど意思決定が遅いし、前例踏襲なのでなかなか変われないということは大いに関係しますよね。以前に組織の「意思決定力」は大きな指標という記事にも似たようなことを書きましたが、変わらないことを良しとする組織の息苦しさといったらありません。

公務員時代に疑問に思っていたことは、とにかくみんながみんな当事者意識がないということです。もちろん私にもありませんでした。「自分の在籍時だけ問題がなければいい」、「嫌われ者になるくらいなら何も変えない」、「目標の是非はともかく目標をごり押しすれば良い」…そんな考えが蔓延しています。誰も自分のことだと思っていないということ。言われた通りにすれば良いんだ、何かあったら上の責任だ、という意識。上は上で議員対応などしないといけないので何が何でも目標を達成しようと圧力をかけてきます。全体が良くなるように、という意識は希薄で、とにかく自分の利益を考えて仕事をするような、そんなやり方。全体として本質的にどうかということを考えてしまい、そもそもの目標に疑問を持ってしまう私には耐え難い仕事でしたね。

就活のやり方が一向に変わらないのは、前例踏襲の慣例がしぶとく残っているからでしょうし、多くの人が在籍数年のためにエネルギーを使いたくないので、大きく何かを変えようとはしません。組織は同じこと何年繰り返しているのだろう?の記事にも書きましたが、とにかく毎年同じことを繰り返している印象です。みんな今のやり方に問題があることはうすうす気づいているのですが、誰も当事者意識を持ってやろうとしないので、同じことが繰り返されるんですよね。これは公務員だけではなく大きな組織であればどこでも似たようなことが起きているのではないでしょうか。しかもこれは根本的な構造の問題なので、個人の意識でどうにかなることではないです。いくらヒラ職員の私が何かを変えようとしても、どうやったって無理なのは明らかでした。

会社などの組織の中での当事者意識の欠如は、人生そのものの当事者意識の欠如にもつながると思っていて、生きる気力を減らしてしまうものだと思います。誰もかれもが満を持して地球に生まれてきているわけなので、しっかりと自分の人生にコミットメントしたいという欲求は誰しもあります。自分が参加しているという感覚を持てるか、当事者意識を持って取り組めるかどうかというのは非常に自分の人生の満足度、充実度に関わってくる話であり、ないがしろにできない問題です。そして、自分の気持ちに嘘をつかないことも大切だと思います。楽しい=自分らしくいられるときの記事にも書きましたが、自分が楽しいと思えるのは自分らしくいられるとき、つまりは自分の気持ちに正直でいられるときなんですね。偽りの気持ちで何かに取り組んでも楽しくないし、満足できないものです。こんなもの絶対流行らない、売れるわけない、本質的には相手のためにならない…と思うものを勧めたりなど、自分の気持ちに嘘をつき続けていると必ず心身を壊します。病気の種はそんなところにあるんですよね。

当事者意識を持てない仕事をしていると、人生そのものにも悪影響を与えるのは確実です。明日死んでも本当に悔いがない人生をの記事にも関係しますが、当事者意識を持てないまま自分の人生を終えてしまうと、すごく後悔の残る人生になってしまうと思います。人に指示されたことだけをやる人生だったな、とか、自分が良いと思うことができない人生だったな、とか思うかもしれません。私はそれだけは嫌なので、今必死に自分を見つめ直して、人生の目的、役割を知る学びは必須に書いたように、生まれてきた目的や役割を読み解く作業をしているところです。ある程度自分で試して人体実験して、最短距離が見つかったら、それをサービスにしたいなと思っているところでもあります。今の仕事に当事者意識を持てているか、それを問い直すことで自分の本心や心からやりたいことが見えてくるかもしれませんね。

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