心の「居場所」はどこにある?

友人や周りの人たちとのやり取りの中で最近大きなテーマになっているのが「居場所」の話。寂しさや孤独感と「居場所」は切っても切れない関係にあり、誰しも一人になること、孤独を恐れていて、世の中のありとあらゆることが孤独を感じさせないため、紛らわすため、埋めるために存在しているのではないかという話になりました。家庭内に居場所がない、職場内に居場所がない、友人関係で居場所がない…「居場所」問題は人生を大きく変えてしまうほどの力を持つ、人生最大級の動機付けになるとも言える重要な要素だと思います。

では「居場所がない」というのはどういうことか、そもそも「居場所」ってどういうこと?という話題になり、やはり「信頼しあえるかどうか」が重要なのではないかという話になりました。また、一人の人間として尊重されていること、受け入れられていること、認められていること、否定されないこと、お互いに好感を抱いていること、居心地が良いこと、素の自分でいられること、といった感覚も挙がりました。「○○に居場所がなくて…」といった場合、上記のいずれかもしくはすべてが欠落している可能性が高いと思います。人生のあらゆる人間関係において、こういった感覚がいられる「居場所」があるかどうかというのは、その人の人生の質、幸福度を大きく左右することだと思います。

その他、ある方が言ってくれたことで面白いと思ったのが、宗教やネットワークビジネスのような団体、組織が流行る(あり続ける)のは、孤独を埋められる、仲間ができるからではないか、という話。それに関連して、ある芸能人やタレントなどのファンになること、複数人で楽しむ趣味を持つことなども、やはり孤独を埋めるためという意味合いもあるのかもしれないと感じました。もちろん一人で楽しむ場合も多いとは思いますが、潜在的には共通の話題で話せる仲間が欲しいとか、一緒に楽しみたいという気持ちは誰にでもあるのではないでしょうか。SNSがこれだけ興隆しているのも、孤独感や寂しさを埋めるためという動機付けがあるからだというのは誰の目にも明らかですしね。「ネット上にしか居場所がない」という感覚で生きている人も、今の時代には少なくないのかもしれません。

「居場所」というのは「place」ではなくて、心の概念だよねという話もしました。いくら身体的に一緒にいても、たくさんの人と一緒にいても、寂しさや孤独がまぎれるわけではないということは多くの方が経験していることだと思います。むしろ、一緒にいるのに表面的な会話しかしていない時などの孤独感といったら、一人でいる時以上の場合もあります。かといって、非常に強く心を通わせている人間関係(恋人・夫婦など)においても、心さえつながっていればそれで良いのかというとそれはやっぱり難しくて、少しでも肌が触れ合えることによるスキンシップの威力は絶大なものだよね、という話にもなりました。心のあり方が第一で大前提だけど、身体性、肌の触れ合いも当然大事だよねというのがとりあえずの結論です。

以前に「不倫」で見つめ直す貞操観念と嫉妬心という記事を書きましたが、相手が不倫、浮気をしてしまったとしたら、自分は相手にとって居心地のいい「居場所」を作れていただろうか?と我が身を振り返ってみるのも良いのかなと思っています。もし本当に家庭や夫婦関係、恋人関係が居心地のいい最高の「居場所」だったとしたら、他には何も求めないし、興味ない、いらないということになるのではないでしょうか。相手のことを本当に思うのであれば、上記に一例として挙げてみた居場所の条件のような感覚を相手が得られるようにまずは自分から心掛ける必要があるように思います。お互いがそうした「居場所」であれるように意識して一緒にいるうちに、愛というのは自然と育まれていくものなのかもしれません。

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