楽な方に、楽な方に流れるのが人間

前回、同じ時給なら手抜きするのが賢いの?という記事に、「怠惰・勤勉」や「働くこと」に関する葛藤や思いなどを書きました。中でも以前から気になっていた、怠惰な人について怒りを感じてしまうことについて、そうは言いつつ働いても働かなくても同じ時給なら手を抜いてサボった方が賢いんだ、と考える人がいるのも無理はないということも書きました。どんな時代であれ、どんな場所であれ、サボりがちな人と一生懸命働く人がいて(それも状況によって変わる)、その構造は今に始まったものでも日本に限られたものでもないだろうと感じます。むしろ、日本人は勤勉だと言われるくらいなので、世界はもっと怠惰な人が多いのかもしれません。

どうしても人間というのは楽な方、楽な方へと流れがちなもので、なかなか自分を律することは難しいなぁと感じます。楽できるもんなら楽したい、便利なのに越したことはない、できるだけ労力をかけたくない…「めんどくさい」というのは、本当にあらゆることをできなくさせる理由になっているし、ほんのちょっとの手間でもやりたくないと思ってしまうことがあります。今は歴史的に見ても本当に便利な時代になっていて、あらゆることが簡略化、自動化されているにもかかわらず、それでも面倒だ大変だと言って手を抜こうとしたり、楽しようとしたりしてしまいます。デジタル機器を使うことはできても、火の一つすら起こせなくなっている私達。人間は一人では何もできなくなっていく一方なのかもしれません。

私の中にも根強い「楽したい願望」があるように思います。体力がないこともあって、肉体を酷使するようなことは避けたいですし、あんまり動きたくありません。睡眠時間が少ないと不安になるタイプなので、朝早く起きる予定も入れたくありません。これは見る人が見れば甘えているように見えるだろうし、実際に甘えているのかもしれないなぁと思います。自分を見つめることや道徳意識を高く持つこと、常に勉強することなど、自分が好きなことについては、割とストイックに取り組んでいるように思いますが、そうでないことについてはかなり怠惰で甘えがあるなぁという自覚があります。

それでも、幸い「楽して稼ぐ」といったことには反応しなかったので、世の中のアヤシイ商法などのカモにならずに済みました(笑)。世のスピリチュアル系の中には、「楽して稼ぐ」的な思想のものもあるように思いますし、努力しなくてもいいとか、過度なありのままの自分でいい思想もはびこっています。そして、たいていそういうことをいう人は、中身のないものを不当に高い値段設定で提供しているものです。それでもそういうものが流行るのは、怠惰で欲深い人々にとって都合の良い思想だからだと思います。努力したくない、苦労したくない、でも好き勝手思い通りに生きたい!という、(世の大半を占める)怠惰で自己中心的な人々は、きっと吸い込まれるように惹きつけられるのだろうと思います。

ブラック企業で身を粉にして働いてへとへとになってしまうような働き方もおかしいと思うけれど、かといって「楽して稼ぐ」といったような、怠惰で欲深くあることを良しとするような考え方もおかしいと思っています。自分自身の「楽したい」気持ちと向き合い、「働く」ということに対する自分の意識をもう一度見つめ直す必要があるなと感じているところです。私が「楽したい」と思っていることを思い浮かべてみると、(たとえば料理とか洗濯物干すのとか)「いつもちゃんと取り組んでいないかも」と思います。一つ一つのことを丁寧に心を込めてやっていないなぁと反省します。まだ考えが漠然としていますが、「楽したい」と思うようなことを、「ちゃんとやる」ことが人として成長することなのだろうなと感じています。家事でも育児でも仕事でも、あらゆることを「楽したい」と怠惰な方に流れがちなのが私達人間ですが、そんな自分を見つめ直し、一つ一つを丁寧に「ちゃんとやる」ことをもっと心がけていこうと思います。

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