子どもは親の所有物でも子分でもない

前回の、闇を抱えた子どもたちが減りますように…という記事に、小学校高学年頃から徐々に子どもの心の闇みたいなものが顕在化してくるのではないかという話を書きました。中学受験をする子は徐々に受験を意識するし、性への目覚めと抑圧もあったりして、心が不安定になりがちになるのかなと感じます。過度に内向的な子、他の子をいじめるような子も出てきます。子どもが抱える心の闇については、他の子どもからの影響もありますが、まず第一に親子の関わり方が非常に重要なのは間違いないことだと思っています。

よく、「子どもは親の所有物ではない」という言葉を耳にすることがあります。本当に心からそう思うのですが、世の中のほとんどの親は子どもを所有物として扱っているように見えます。なんでも自分の思い通りにしたい、子どもに対して過干渉、子どもを信頼していない、子どもに期待する、自分の夢を押しつける…それでいて、「自分はこの子を愛している」みたいなことを平気で言う人がいます。子どもの意思に関係なく何かをさせようとしたり、親の意に沿わないと怒ったり…私も心の友もそういった親に育てられてきたので、非常にわかり合える部分があります。私は自分の意見や考えを親にまともに聞いてもらったことがないと感じていて、それもあってか自分の意見や考えを発言したり、人に話を聞いてもらうことに抵抗があるのかなと感じます。

もう一つは、「子どもは親の子分ではない」ということ。多くの親は子どもを下に見ているというか、何でも言うことをきかせる子分のように扱うこともあるように見えます。子どもは子分でも召使いでもないのに、一人の人間として尊重する意識が希薄です。保育園に泣きながら行く子の話などを聞くと、こちらまで泣けてくることがあり、「泣いてまで意思表示しようとしているのに、話を聞いてもらえないんだね…」となだめたくなります。子どもの「ママと一緒にいたい」という願いは尊重してもらえないのでしょうか。子分は親分の言うことに従えばいい…資本主義の論理がそのまま家庭内にも通用しそうです。

以前に、過保護な親も厳しい親も結局同じという記事を書いたことがあります。過保護な親に育てられても厳しい親に育てられても、心に闇を抱えるだろうなとなんとなく想像できますよね。どちらも結局、支配・依存させたいだけで、子の自立を促すとか、子の意思を尊重するとか、そういった意識が希薄なのでしょうね。いつまでも所有物でいてほしい…いつまでも支配下にいてほしい…それは愛とは正反対な行為であり、だからこそ子どもは心に闇を抱えてしまうのだと思います。親に本当の意味で愛されて育っていないのですね。親はそれでも「自分は子どもを愛している」と言い張るのが一番厄介で、子どもにとっても混乱のもとになります。

そういった子どもたちが、学生時代はなんとか乗り切れたとしても、次に困難を感じるのは男女のパートナーシップだろうと感じます。親にされたことが「愛」だと勘違いしてしまっているため、パートナーとの関係もうまく築くことができずに苦労するのではないかと想像します。そうしたパートナーシップから生まれた子どもはまた…とずっと同じことが繰り返されそうです。本当は子どもを産む前の若いうちに自分をしっかりと見つめ、人間そのものを理解し、「愛とは何か」と考えていくことができれば一番良いのでしょうが、今の教育は受験勉強ばかりを教えています。一見関係なさそうに見えますが、この問題の大きなカギを握っているのは「性教育」だと思います。その辺りのことについても時期が来たら書いていこうと思っています。

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