「自由な人」は周囲の願望を刺激する

公務員を退職してからしばらく経って、私も他人の目とか気にしても本当にしょうがないな、と実感したので、フェイスブックなどにこのnoteをシェアしたり、思っていることやスピ系のこと含めて色々と投稿するようになりました。フェイスブックには、学生時代からの知り合いや社会人になってからの友人、自然療法やスピ系に目覚めてから仲良くなった方々、両方いらっしゃり、後者の方は非常に反応をくれるのですが、前者の方からの反応は当たり前ですが減ったように思います。

学生時代や社会人になってからの知り合いに、今定期的に会う人は少ないですし、リアルな世界で親しくしていないからというのはもちろんあると思いますが、やはり内容が内容なので、「また変なこと言ってる」「カルトか?」と思っている人もいるかもしれません。私自身もそう思われる覚悟で発信しているのであり、noteをフェイスブックにシェアするのは非常に勇気がいることでした。自分が変われば周囲も変わるのは当たり前であり、こういった内容を書くことで嫌われる、距離を置かれるのであればそれはそれでいいから、思ったことを書いて発信しようと思ったのでした。

私は今はほぼ無職に近い状態で、少しアルバイトをしながら日々セミナーに行ったり本を読んだりして勉強しつつ、たまに八ヶ岳で畑をしながら毎日を過ごしています。おそらく、日々の業務に追われ、余裕のない毎日を過ごしているような人にとっては、「何そんな自由気ままな生活してるんだ」とか「遊んでばっかで全然稼いでないじゃん」とか、言いたくなることもあるかもしれません。私はもうやりたくないことはやらず、いかに毎日を楽しく充実したものにするか、ということに重点を置く人生にすると決めました。もちろん、好きなことをする中での些細なやりたくないことはあると思いますが、大枠としてイヤイヤ仕事をしたり、意味がない、本質的ではないと思うことをするのはもうやめようと思っています。そういうことを発信しているので、イヤイヤ仕事をしている人、意味がないと思いながらも上からの指示だから仕方なくやっている人などの怒りや不満をもろに投影される傾向はあるのでしょうね。

結局、そうやって自由気ままに生きている人を見てイラっとしたり反感を覚えたりするのって、本当は自分もそうしたいと思う部分がありながらも、できていない状況だから、というのが大きな理由であり、自分の中に原因があるんですよね。自分自身が思うままにストレスフリーで生きていれば、そういう人を見ても全くイラっとしないはずです。他人に対してイラっとするということは、隠れた自分の願望を見せてくれるということでもあると思います。ベビ待ちの方がフェイスブックの出産報告にモヤモヤするとか、独身女性が結婚報告にモヤモヤするとか、すべて同じ原則に当てはまりますよね。

外の世界には何もなく、すべて自分の内面の投影であるというのはまさにこういったことでしょうね。誰かが自由に生きている、出産した、結婚した、ということには、それ自体には何の意味もないのですが、観測主体のあり方によって受け取り方が違ってくるということ。他人に対してのモヤモヤはイライラは、大抵は自分もそうしたいという、うらやましい気持ちが発端となっていることが多いと思います。相手に当たるのではなく、なぜそう感じるのだろうか?自分がどうであればイラっとしなくなるだろうか?本当の自分の望みは何だろうか?と内観していくと、自分自身のことをもっと深く知ることができるようになると思います。

究極的には、自分の今の人生、生活に100%満足していたら、誰にも干渉しないし、イライラしなくなると思います。「我慢しない」をループするの記事にも書きましたが、我慢しているからこそ他人のことをとやかく言いたくなるんですよね。イラっとしたりモヤモヤした時には、自分は本当はどうしたいのか、何を我慢しているのだろうか、と考えてみて、真に望む人生へ進むための足がかりにできると良いですね。

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