「ハートで聴く」という意識を持つこと

昨日は定例の自然医学の講座の最終回。本当に深くてためになる講義を受けられて私はなんて幸運なのだと改めて思いますね。昨日は総まとめということでカウンセリングの技法、在り方についても再確認し、受講生同士で実践しながら理解を深めていきました。昨日のメインテーマは「ハート」で聴くという姿勢。世の中を見渡してみても、行き過ぎた男性社会、競争社会、売上至上主義、エゴの肥大が人々を苦しめているのに間違いはなく、すべての人が「ハート」の本音ベースで生きることの大切さを日々実感しています。こちらの講座で学んだことはカウンセリングの場だけでなく、日常生活の人間関係においてもとても有用な考え方、意識だと思うのでこちらにも少しシェアさせて頂きます。

カウンセラーではなくても、日常生活において誰か身近な人の話を聴いたり、相談されたりする機会はどなたにもあるのではないかと思います。相手が心を開いて本音を話してくれるとき、ガードが固くて表面的な話しかしないとき、いろんなシチュエーションがありますよね。いつも書いているように、相手は自分の鏡なので自分が心を開いていれば相手も心を開いてくれるものです。そして、話を聴く側が「頭」で話を聴くか、「ハート」で話を聴くかによっても、相手の反応や話すことの深みが全く違ってきます。相手の表層の言葉のみを追って話を聴くのか、相手の感情や感覚、気持ちはどうだろう?ということに意識を置いて話を聴くのか、それはすごく大切な視点なのだということを学びました。

「頭」で話を聴く姿勢というのは、「問題解決してやろう」という意識で聴いていることが多いでしょう。そこまでではなくても、相手を分析したり、問題点を指摘したりしようとするために話を聴いている感じです。中にはそういった話の聴き方が有効なシチュエーションはあるかもしれませんが、少なくとも私はそのやり方を推奨しません。基本的な前提として、「答えは全て相手の中にある」ということと、私が相手を癒すのではなく、相手がスピリットとつながるハートの本音に気づけたときに、癒しは「起こる」ものであるという考え方があるからです。「私」が相手の問題を解決してあげるという意識は全くないんですよね。

こちらが「ハート」で相手の話を聴こうという姿勢でいると、その意識は必ず相手にも伝わり、話す内容が単なる表面的な事実から感情、気持ち、感覚へと深まり、そしてさらに深いスピリットレベルでの気づきや癒しにまでつながっていきます。話を聴く側が分析したり、ジャッジしたりしなくても、本人が自ら気づき、話しているうちに問題解決してしまうんですね。これは体験してみなければわからないことかもしれませんが、何度も練習と実践を重ねた経験から間違いがないと断言できます。私たちはいつも見ようと思うものだけを見ているし、見ようと思うものしか見ることができないんですよね。表層意識だけを追えば表層意識しか見えないということ。聴く側がどこにポイントを置いているか、どんな意識状態でいるかが非常に重要なんですね。

もし身近で悩みを抱えている人、話を聴いてほしそうな人がいたら、話を聴く側はずっしりと落ち着いて深い呼吸をし、自分のハートと相手のハートがつながるようなイメージで、「問題解決してやろう」とは思わずただそばで寄り添ってあげてください。二人を包むようにたまご型のやさしい光のボールがあるとイメージするのも良いと思います。身近な人の悩みや苦しみが少しでも楽になれば、というあたたかい心はどなたにもあるはずです。癒しの仕事をしていない方でもそばにいるだけで癒されるようなあたたかい方は五万といらっしゃいます。私はヒーリング、癒し、セラピーにおいて特殊な技能は本質的にはいらないと思っており、ハートを活性化させて相手を尊重し、慈悲の心を持つことで、誰もが誰かの苦しみを癒して楽にする機会を提供できると感じています。一人一人がご自身のエゴとハートのバランスに意識的になり自分自身を見つめ直していくことで、そのエネルギーが身近な人々にも波及し、ゆくゆくは社会全体がもっと楽で生きやすくなることに間違いはありません。

note過去記事一覧はこちら

ホリスティックな健康をサポートするGreen Cosmoのページはこちら

「note見た」で友達申請→村上遥のFacebook

Twitter再開しました!→Twitter

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?