「死生観」が生き方に与える影響の大きさ

ここのところ宗教・思想や本当の歴史などの勉強をしているとたびたび書いていますが、つくづく感じるのが「死生観」の思想がこの地球生活での生き方をものすごく左右するよなぁということ。まさにそれが種々の宗教の教えなわけですが、この肉体次元での人生をどのようなものととらえるかというのは、その人々の意識によって世の中が変わるくらい大きな力があると思います。肉体が死んだら完全に何もなくなってしまうととらえるか、死後の世界もあるととらえるか、またこの世での生き方が死後の世界にどのように影響を与えると考えるか…その辺りの思想がこの世での生き方を決めると思うんですよね。

宗教やスピリチュアルの教えを色々と学んでみても、どの教えも同じようでどこか違うし、はっきりしない部分も多いと思います。私も「何が本当なんだろう?」とずっと思っていたし、なかなか自分の思想が定まらない部分がありました。生まれ変わりはあるのかないのか、肉体の死のあと私の意識はどうなるのか、先に亡くなった人と再会できるのか、魂とは何か、天国や地獄があるのか、「無」や「空」になるのか…など、疑問は尽きません。地球上にも数多の情報、思想こそあれど、自分が死なない限りは本当のところはわからないし、推測の域を出ないことでもあります。多くの人が疑問に思う本質的なことだからこそ、「宗教」という形で様々な教えがもたらされたのかもしれません。

現代の日本人は「無宗教」と言われることも多いですが、個人の方を見てみると、一人一人おそらくなんらかの「死生観」をお持ちなのではないかと思います。この肉体の生を、本当に唯物的なもの、物質的なものととらえている方は、おそらく物欲、金銭欲、名誉欲、支配欲といった「我欲」という名の悪魔に憑りつかれることが多いのではないかと感じます。どうせ死んだら何もなくなるのだから、地球上で好き勝手、欲望のままに生きたっていいんだという思想です。ただ、悪魔崇拝の支配層も、現在はさすがに「スピリチュアル=アヤシイ、完全唯物論」という世論操作もあまり通用しなくなってきているため、「スピリチュアル×欲を満たす」的な思想を広げたがっているように見えます(昔からありましたが)。

この世での生き方がさらに長く続く死後の世界での在り方を決める的な思想(わかりやすく言うと天国と地獄など)を持っている人であれば、おそらく「我欲」という悪魔のそそのかしにも耐えうる力を持っていると思います。最近読んだ本に(いずれ紹介したいと思ってますが)、江戸時代のキリシタン迫害の話が書いてあって、命をかけても己の信仰を貫いた人(殉教)がいたとのことだったのですが、それが良いか悪いかはさておき、簡単にお金で買収されてしまう現代人にはなかなかできないことだし、単純にすごいなぁ、と思ったんですよね。昨今では、ブラック企業を始めとするあらゆる世の中の理不尽に耐えること=精神力、的な風潮もありますが(もちろん洗脳)、本当に強いと感じるのは、何があっても悪魔に魂を売らずに、自分の信じる生き方を貫くことができる力なのではないかなと思うようになりました。

個々人の「死生観」がこの世での生き方にかなり大きな影響を与えるなぁと思ったので、これから会う人会う人にどのような「死生観」を持っているか聞いてみたいです。私たちはどのような思想を持って、何を信じて生きるかによって本当に人生が変わってきてしまうものなので、まずは自分がどんなことを思って生きているかというのを意識化するのは大事だなぁと思いました。この世を支配する人々が悪魔を崇拝しているので、気を抜くとすぐに「我欲」に引っ張られて、利己的で自己中心的な思想を持つようになってしまいます。日々自分でひしひしと感じることですが、「儲けよ」「成功せよ」「人気者になれ」といった洗脳工作に足をすくわれないように生きるのは相当精神力が要りますね。私自身は特定の宗教思想ではないものの、死後の世界はあり、この世での生き方が死後の世界に影響を与える(天国と地獄的な)と信じています。その上で、この世をどのように生きるかということを日々模索している最中です。

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